vol.15

フリーペーパー花鳥風月

INTERVIEW 1

習慣の中に『息づくもの』
手から手へ受け継がれる文化

ー『株式会社 まちづくり山上』代表取締役  柳川直子さん


 

INTERVIEW 2

大事なのは
の輝きを感じられる場所
-麦っ子畑保育園 園長 大島 貴美子さん

 

■自然素材工房のお宅訪問

 森と繋がる家、落ち着いた住まい

INTERVIEW 1 習慣の中に『息づくもの』手から手へ受け継がれる文化

ホウキモロコシ収穫3小

 

掃除という日々の習慣。

習慣は、人を取り巻くすべてが関わり、

生活の中で培われ、受け継がれてきた文化でもあります。

受け継がれる習慣の中に『息づくもの』、

それは日本人が大切にしてきたこと。

 

 

中津箒

日本人が『掃除』に使う道具の中に『箒(ほうき)』があります。
掃除に箒を使う習慣を通して日本人が受け継いできた文化とは。
愛甲郡愛川町で原料を無農薬栽培し、製造から販売までを行い、良質な箒と文化を残そうと活動をされている中津箒。代表・柳川直子さんにお話を伺ってきました。

掃除とは『神聖なもの』

中津箒

歴史を紐解くと、日本人が『掃除』という習慣の中に何を受け継いできたのかが見えてきます。箒の歴史を柳川さんに教えていただきました。
「古くは神様にお願いをしたり、邪気を祓ったりするというような祭事や神事にも箒は使われてきました。」日本人は厄を払ったり、清めることの象徴として箒を崇め、掃除にも神聖な意味を持たせていました。例えば、現代に残る風習に“大掃除”があります。“大掃除”は本来、新しい歳神を迎えるために年の暮れに身の回りを清める行事です。日本人は暮らしの中に今も『神聖なもの』を受け継いでいます。

中津箒

『清める』と表現しなくても、掃除してきれいになるということは、部屋がきれいになるのはもちろんのこと、心も気持ちいいものなのです。でも今は、教育の面でもどこかそういったところが抜けてしまっているように感じます。」鎌倉時代から日本では、掃除が仏教の修行の一環としても取り入れられ、掃除は心も清らかにするということが教えられていました。現代でも、学校には『掃除の時間』という形で掃除する習慣は残っています。しかし、形として掃除することが残ってはいても、その心は今どこまで伝わっているのでしょうか。

今のままでは、人から人へ伝わっていかない

中津箒

『物には魂が宿る』という日本的な考え方があります。その考え方では、箒にも魂が宿るということになります。箒に宿る魂、それは中津の地で栽培され、職人の手が作ってきた箒が生活の中で使われるという日常に『息づくもの』。その息づく文化を大切にする思いから中津箒は、『栽培方法』、『職人の手作り』、『販売方法』にこだわりを持っています。明治から続く歴史の中でこだわりは培われてきました。その成り立ちとは。

今から10年前に柳川さんが気づいたこと、「今がんばって箒を次の世代に残していかないと、5年や10年のうちに日本の箒づくりの技術は無くなってしまう。作っているところを映像としては残せても、技術として人から人とは伝わっていかない。」伝統的な技術のように人から人に伝わることで後世に繋げてられてきたものには、機械的なマニュアル化できるものだけではなく、人が人から学び、日々の中で受け継いできたものがあります。

「やはり自分の中に根付いたものがないと、なかなか継承できない。私は箒屋に生まれたから、幼少から箒作りを見て聞いて知っているし、心の中にも残っている。育児と介護が終わった今ならできる。私がやろう、と決心しました。」

中津箒

中津での箒づくりの始まりは、柳川さんより5代前にあたる柳川常右衛門(1822年生まれ)という人物が、諸国放浪の末、箒の原料となるホウキ草(ホウキモロコシ)の種とその栽培方法を故郷に持ち帰ったことから。種と栽培方法は後の代に受け継がれ、関東で畳の生活が庶民の中で普及すると共に、座敷箒を使った掃除のスタイルも普及していきました。世の中の流れを見ていた柳川さんのご先祖が箒づくりを体系化していったことで、中津の一大産業となりました。昭和16年には年間50万本の箒を生産していたという記録が残っています。当時、箒は生活に根ざした実用品であって、無くてはならないものでした。しかし戦後になると、電気掃除機が普及し、洋風の住宅が建てられ、生活様式も変化。機械生産による安価な箒も登場したことから、手作り箒の需要は減り、中津の箒産業は衰退してきています。それに伴い、人から人に『箒』という道具を通して伝えられてきた文化も、日々生活から薄れていったのです。

生きている箒

中津箒

時代の変化の中、箒に求められているものも変化します。柳川さんが箒を通してご先祖から脈々と受け継いできたものは、時代の変化に対応し、姿かたちを変えながらも、その精神は変わらず受け継がれています。それは、柳川さん自身の生き方や中津箒のあり方の中に有りました。
「私は太陽が好きで、水や土が好きです。私の両親もそうでした。そういう環境で育ってきたし、自分の子ども達も同じ様に育ててきました。自分が事業を起こすなら、こういった考え方を曲げるようなものにしたくはありませんでした。」
この考えはホウキモロコシの無農薬栽培にも表れています。

中津箒箒モロコシ

「農薬は、もちろん農薬ですから、そこにある命を殺してしまうことがあります。だから、必要もなく農薬を使うことは驕りだと思っている部分があって…。たくさんの命に生かされているのが人間だから。」「ホウキ草を栽培することは本当に重要な作業です。例えるなら、ホウキ草の嫁入り時を大切にして収穫しているということです。嫁入り支度を整えるように収穫して、それを職人が美しい箒にする。つまり、生きている草とコミュニケーションをとりながら育てて収穫し、箒にするわけです。」

中津箒

また、箒を作る職人や販売する組織についても、同様の考え方で取り組まれています。「中津箒は会社組織ですが、職人の仕事時間は型にはまったものにならないようにしています。作業に集中してくると良い仕事が出来る日もあるだろうし、子育て中だとお迎えの時間もあるだろうし、仕事が無い日は好きなお店の調査に時間を使ってもらったりして、それぞれの実勢に任せています。箒は単なる製品というだけではなく、職人の作品でもあると思っているので。ある意味、箒は生き物なのです。畑の種まきから、職人の仕上げまでを含めての、ひとつの生き物のようなものです。

中津箒

ホウキ草や箒づくりをする職人、箒づくりの場に携わる『命』を尊重し、場に『息づくもの』すべてが繋がることで、箒という作品が生み出されています。それは、いわば『生きている箒』です。

使うことで活きる道具

中津箒

「箒は実際に掃いてみてから選んでもらいたいと思います。箒は道具ですから、その人の手にしっくりなじむものを選んでもらいたい。靴を履かないで選ぶ人がいますか?箒も同じなのです。」箒は日常で使うために生まれてきた道具。使う人に合ったものを選び、日々使われて初めて力を発揮します。

中津箒

一番使って欲しいのは子育て世代です。掃除は気持ちいいことなんだよ、掃除をすれば心も一緒にいい気持ちになれるんだよ、ということを子どもが小さい時からわかっていてくれたら素晴らしいなと思います。中津箒では箒作り体験教室もやっていますが、そこでは子ども達には消しゴムのかすをフーっと吹き飛ばしちゃだめだよって教えています。吹き飛ばしたら自分の机の上はきれいになっても代わりに床が汚れちゃうんだよ、そうじゃなくてこの箒で『サッサッ』と集めて自分で掃除するんだよって。」

中津箒

「小さい時から箒を使って手の感触を覚えることもプラスになると思います。細かい所は先の方でサッサッと掃く。床を掃除する時も、優しく床に傷をつけないように掃くとか。」手の加減を感覚で覚え、『生きている箒』の優しさで家も優しく掃除をする経験。そんな習慣の中で身に付く感覚は大人になってもその人の中に残ります。
生活習慣の中で使う道具にはその人の人となりが現れてきます。どういう風に人が生きていくか、そのあり方も箒の中には息づいています。「悲しい時、苦しい時、楽しい時、掃除は気持ちを休めてくれますね。落ち着いてくると思います。只々何も考えずきれいにすることに一生懸命エネルギーを使うと、穏やかな気持ちがよみがえってきます。そんな時に、優しい温もりのあるお気に入りの箒があったら、もっともっと幸せだと思うのです。生活の中で優しく見張ってくれているような存在です」。つくり手が気持ちを込めて手作りした、『生きている箒』は使う側の心にも訴えかけます。家族の一員のような目に見えないけれど優しく確かな存在感があるようです。つくり手が気持ちを込めて手作りした、『生きている箒』は使う側の心にも訴えかけます。家族の一員のような目に見えないけれど優しく確かな存在感があるようです。

私の生き方

中津箒

「今のシニアは若い人よりある意味余裕がある。私は自分のために何をしたい、というような欲があまりないのです。子供も独立した今、若い人たちを導いていくために残った時間とエネルギーを使っていきたい。それは箒に限りません。これが私の生き方です。」柳川さんは若い箒職人の育成を始め、若い人たちに向けての様々なサポートなども行っています。

中津箒

「せっかく生きていく糧に決めた職ですから、やっていて喜びを感じられる方が幸せ。明日もがんばって生きよう、自分の存在がここにあることを実感しながら、責任をもって生きていってほしいと思います。」職とは、社会と関わりながら自分を生かす手段。そこで生きがいを感じられる方が人として幸福なことかもしれません。

中津箒

今の若い人は自分が幸せになるためのチャレンジができていない、と柳川さんはおっしゃいます。「こうやって情報発信していくことで、1人でも共感してくれる人がいたら嬉しいです。60歳過ぎたらみんなのためになることをして、次の種を育てていくようにしていきたいし、枯れる時はみんなのためになるように枯れたいですね」。

中津箒

その年代だけにしかできないことがあります。自分が日々の中で培い大切にしてきたことを後世に残し伝えていくこと、それは人が生きていた証です。生きている中で培ったもの、それは形ある物だけではありません。柳川さんは自分に根付いている箒の文化を後世の世代に引き継ぐことで、次の種を育てています。それは『手作りの箒』という物の継承というだけでなく、ホウキ草の種をまく大地から箒を使う人の生活の中にまで連なる『息づくもの』の継承でもあります。
  道具として『生きている箒』が使われることで、生活の中に『息づくもの』も大切に残し伝えていくこと、それが日本人が大切にしてきた箒文化の継承なのだと感じました。

INTERVIEW 2 大事なのはの輝きを感じられる場所

麦っ子畑保育園

 

人が生きることを大きな視野で捉え、

すべての子ども達の命が輝くような

育児をしている保育園があります。

 

自然流育児の麦っ子畑保育園です。

 

自然の中で生かされている人の命を尊ぶように、

食、住、人間関係の在り方を根本から考え、

保育の場で実践しています。

園長である大島 貴美子さん

保育への思いを伺いました。

 

 

迷惑かけあって生きていくのが人間

麦っ子畑保育園

「私が幼稚園や障がいを持ったお子さんの保育所、公立の保育園などで働いてきた中で思ったこと。それは、大人の都合が優先されて子どもを動かすことが多かった…ということ」。
例えば教室、「通常の保育室は区切られた空間。外から見えにくい分、その空間では先生が王様になりがち。麦っ子畑保育園の建物は風通しがよく、全体を見渡せる。ここではそんなことは通用しない。大人同士もみえるし。親同士もみえる。」保育所という集団活動の場で、先生は集団で効率よく子ども達を動かしたくなります。子ども達にとっては『先生に従順になること』にいつのまにか慣れてしまいがちになります。

麦っ子畑保育園

さらに、「教育や保育の現場では障がいを持っている子どもは環境を別にされがちです。迷惑かけあって生きていくのが人間なのに…。」子どもの命という意味では同じなのに、大人が普通学級と特別支援学級という風に区別することは、どんな命も認め合って共存する社会には繋がっていきません。

当たり前に色んな子がいる中で育ってほしい

麦っ子畑保育園

障がいの有無に関係なく同じスペースで生活する麦っ子畑保育園。どのようにコミュニケーションをとり、団体生活を送っているのでしょう。そこには大人も子どもも障がいも関係なく、自然な気持ちで繋がり、互いが助け合う“群れ”がありました。

麦っ子畑保育園

「麦っ子畑保育園をやる前、(耳も目も聞こえないような)障がいを重複して持っている子ども達の医療施設で実習をしたとき、『ちょっとみていてね』と頼まれたお子さんがいました。わらべうたを歌いかけてみたら、その子が体を動かしはじめ、私の口元に手を伸ばしてきてくれた。それは、呼吸や体のリズム、胸の鼓動などを、その子が体で感じて共鳴したということ。周りから何にもできないと思われている子でもコミュニケーションできるはずだと、その時私は確信したの。それなら、障がいを持っているお子さんだけの世界に限定するのではなく、当たり前にいろんな子いる中で育っていってほしい」という思いが芽生え、大島さんはどんな子どもでも受け入れる麦っ子畑保育園(以後麦っ子)を立ち上げました。

自然の中で大きく育つ、子供の“混沌とした感覚の世界”

麦っ子畑保育園

大島さんは幼児期を「混沌とした感覚の世界」と表現。その世界は広く、大人の世界のような限られた価値観の中で生きていません。麦っ子では大人が教え込むのではなく、子どもの“混沌とした感覚の世界”で自ら感じ考えることを大切にしています。
それはお散歩によく表れています。「子ども達は自然の中に行くと自らの意思でギュッとまとまり、互いに意識し合う。」守られた園の中とは違い、自然の中では何があるか解りません。さらに誘導具などの補助具は使わず、同じクラス同士だったり、大きい子が小さい子の手をつないだりしてお散歩します。そうすると、子どもたちは繋いだ手の感覚からお互いを意識し、“仲間”として助け合うことが分かってきます。「自然には、草だったり、カモだったり、畑の野菜だったり、空気のにおいがあり、子ども達は外に出かけることで様々なことを体感する。

麦っ子畑保育園

お散歩は、お友達を意識しながら、大人が何を言うか聞いてなきゃいけないし、自ら色んな感覚を開いて行かないといけない。自然が一番の先生。」子ども達は外の世界への興味や怖さを感じながら、仲間と助け合う術を自ら培っていきます。
個性を認め合う自由の場、麦っ子では子供達もエネルギー全開!特にイベントでは集団のエネルギーが集結します。大人も子どもも自由に仮装したりして遊び、そのエネルギーが共鳴し合って知らないうちにみんな笑顔になっています。感覚を自由に遊ぶことはこんなに楽しいことだったんだと思い出されました。

感覚の中で繋がる

麦っ子ばたけ保育園

様々な個性があれば衝突も起こります。卒園文集の中で、卒園児を担当した大山先生は『みんなでつくると一人では出なかった発想も出ます。いいことばかりではなく意見が合わなかったりして前に進まなくなることもある。けれど、そのおかげでお互いの関係が深くなったりする。そんな同じ時間を感じられる。作るというより、創るという感じだと思う。それは子ども達が発案した卒園制作のツリーハウスや運動会、登山、クリスマス会、マラソン大会、日々のお散歩…すべての生活において、みんなで時間を創っていく。出来上がった形あるものは触ったりしてみんなで感動できる。(略)みんなで創ってきたものや積み重ねてきたものは体中から溢れてる。触れないけど、確実に感じることができる』。
麦っ子のマラソンは、障がいのある子どもがいるときは、足の速い子が逆戻りしてお迎えに行ったり、時に手を引っ張ったり、バギーを押して走ったりするマラソンになるけど、いつでも真剣勝負なのは変わりません。ゴール間際の暖かい声援。仲間と共に頑張り、楽しむ行事になりました。

麦っ子畑保育園

「いろんな個性を持った子達と生活していると、自分たちが助けてあげていているつもりでも逆だったり。教えられることも多い。子ども達同士でもそう」と大島さんはおっしゃいます。大人が制限することなく、子どもの多様な感覚で『人、環境…生きているすべての事』に自らの意思で関わる体験は感性を広く大きく育てていきます。「そんな時間を私たちがつくってあげられるものではないし、これを知らなくてなんの人生だ、幸せだと思うのです」。甘いのも、酸っぱいのも苦いのも…様々な感覚を感じ、感じ合う豊かな経験。その経験を通して自ら幸せを創り上げていくのは、人生の醍醐味のようなもの。それは子どもが遊びの中で自らが手を伸ばすことで芽生える感覚。大人が創り出せるものではありません。
 

群にいることは子供が生きること

麦っ子畑保育園

麦っ子にある“仲間”意識。大島さんはそれを“群れをなす”と表現します。「10年目にふと手にした新聞のコラムで見た小児科医・真弓定夫先生の『子どもは群をなして遊ぶことが基本』という記事。例えるなら昭和の路地裏のような風景。大人もいて子どももいて、子ども達がぐちゃぐちゃと遊ぶ、だれかえらい人が統制してというのではない。この記事を見てストンと落ちたの。大きい子が小さい子をおぶって面倒を見たり。大人は子ども達の遊びに介入しないけど、年齢も関係なく近所のおじさんおばさんも近くにいる。」それは、お互いが繋がり共存する関係。「お母さん達は育児を一人で背負いこまないで。周りの手を借りたり、誰かに相談したりして、孤独に育児をしないほうがいい」。元々人は一人では生きていけないものです。

麦っ子畑保育園

園だよりなどのお便りも、まるで家族に話しかけるような親しさを感じる表現。小さな命を共に育てる大きな家族。そんな近い仲間意識を感じます。「いろんな人や環境と交流しながら日々保育をしています。子ども達はその中で本物を体感することができる。」大島さんのいう本物とは『子どもを必要以上に子ども扱いしないこと。子どもでも妥協せず、自分のすべてをぶつけてくれる人」のこと。子どもという大切な命を取り巻く“群れ“は本物の意識で強く繋がり、広がっている様です。

大事なのは命

麦っ子畑保育園

麦っ子は人間関係のルールには厳しい。「いじめがあったり、心無い意地悪をしたり、力ずくで自分の思い通りにするような行為を見たら猛烈に怒る。過去に麦っ子でいじめに近いことがあった時、担任と私、子ども達が集まって3日かけて話し合った。いじめられた子はどう思うか、家に帰っても親子で話し合いをしてもらった」。保護者の方曰く、『子どもがひどいことをした時、怒るだけじゃなく子どもがちゃんとわかるまで話をしてくれる』。それは、本気で子ども達の命を大切に思うからこそ。「卒園してからもいじめを目にしたら、気がついてもらいたい。声に出してもらいたい。今の世の中は仕組みが悪すぎて…。成績が良い子が偉いとか、組織で人を統制したり…、

麦っ子畑保育園

本当に大切なのは命。麦っ子のように小さいときから色んな人と関わって、真剣勝負でやってきている子どもが圧倒的に少ない。それではいじめって無くならない。」文集にあった内容『麦っ子卒園生の小学生が、学校でお友達が嘔吐したものを、誰かに言われたのではなく自ら率先してお掃除していました。』大事なのは命。麦っ子の子どもは何が一番大事か経験を通して知っています。

麦っ子畑保育園

現代の人間社会は目の前の効率化を求めるあまり、統制したり、脱個性を求めたり。学歴や階級などの肩書を重んじたり。自分さえ良ければという個人主義もあります。その価値観は本当に命の豊かさを感じるものでしょうか?現代のそういった環境下で、いじめを苦に自殺する子ども達、育児を苦に子どもを殺してしまうという様な事件が起こっています。
「麦っ子は子ども達のお母さんのような場であり続けたい。子ども達が迷ったらここに帰って、答えを見つけて戻って行ければいい」。

麦っ子畑保育園

どんな形の命でも丸ごと包んで、『生きていること自体が素晴らしいのよ』と言ってくれる麦っ子はそんな場。大らかな命への母性があります。大島さんの卒園文集の言葉、「麦っ子の一日、一日はそんな軟(やわ)なものではなかったはずだから。自分の周りの人達の思いが分る心に育っているはずだから。顔も身体も心もみんな違っても、違うからこそよかったのだよね。違うことが大切なんだよね。一緒に生きたことが大事だったんだよね」

麦っ子畑保育園

様々な個性が自ら感じ合う、豊かな世界。群れを成し共生することで一人一人が生きている素晴らしさを感じ、命が輝き出す。みんなが繋がって生きている命。無駄な命なんて一つもない、と証明してくれる温かな場所でした。

自然素材工房のお宅訪問 森と繋がる家、落ち着いた住まい

横浜市無垢の平屋

 

O様邸は横浜市でも豊かな自然が残る地域にあります。

「朝は小鳥の声で目を覚ましますよ。」と旦那様。

現在はお仕事をリタイアして畑仕事や庭づくりに精を出す日々。

奥様は生け花や美味しい手作り料理で暮らしを彩られています。

 

 

 

Oさんご家族

お子様も独立したことから夫婦2人の生活に。

2人で暮らしやすく、管理もしやすい平屋住まいにしたい。(築1年)

外と家が繋がり、家族が繋がる

横浜市無垢の平屋

O様邸外観の特徴は奥行きがある広いウッドデッキ。各部屋はデッキを通して繋がっているため、外からでも移動しやすい動線になっています。デッキは外と室内を繋ぐ空間。「畑作業していてもデッキは便利ですよ」と旦那様。
室内には大きな梁が渡り、リビングに太い大黒柱があり、力強く家を支えていました。玄関と和室には、前のお宅で使われていた床柱や床板を再利用
してあります。年季の入った質の良い古材や太い梁や柱が新しいのに落ち着いた空間を創り上げています。各部屋は天井空間で繋がっており開放的です。「部屋が繋がっていることで、別々に居ても夫婦の時間が一緒に流れている気がします」と旦那様。

横浜市無垢の平屋

天井空間で繋がる部屋。「風通しはすごくいい」とご主人。その反面、ほこりも入ってくるのが難点。太い梁。

横浜市無垢の平屋

無垢の床「冬は底冷えがない。梅雨の湿気がない」と奥様。

横浜市無垢の平屋古材再利用

和室での古材の利用

横浜市無垢の平屋

再利用している古材は旦那様のお父様が森に行って選んだ丸太。旦那様も一緒に行って木の皮を剥いだ思い出があります。工務店を選ぶ上で大切にしていたことは、古材を大事に活かしてくれること。そして木材などの素材や住まいの安全性にこだわりを持っていることでした。HPで探した『自然と共生する家づくり』をコンセプトにする工務店のトレカーサ工事に行ってみることに。社長にこだわりがあり、営業の方も対話の中で構想を進めてくれたので、トレカーサ工事にお願いすることを決めました。家造りの作業に入っても、「大工さんの一生懸命な仕事ぶり。『家造りが好きなんですよ』と熱く話してくれました」。その姿勢に好印象を持たれた様です。
「木の温もりを感じる家が欲しかったの」と奥様。無垢材を使った床は、木目や肌触りから木の質感が伝わってきます。「肌が敏感な孫も安心してハイハイさせることができました。この家は娘からの評判も良いです」。

自然と共生する豊かな暮らし

横浜市無垢の平屋

旦那様は「この家に住むようになってから、暮らしにゆとりを感じるようになりました。」自然と家が繋がる木の家の暮らし。それは自然の中に流れるゆったりとした時間と共に自らの暮らしを創る、大らかでゆとりある生き方に見えました。

畑の食材を通じてご夫婦の暮らしも繋がっています。「新鮮なものは美味しい。夫に野菜をリクエストして作ってもらってます」と奥様。「妻がパートを辞めたら、好きなように食にこだわって暮らしてほしい」と旦那様。奥様の夢は庭にオーブンを設置して、薫製ベーコンやパンなどを焼いてふるまうことだそう。

横浜市無垢の平屋

旦那様、「以前は畑で野菜ができればいいと言う感覚だったけど、今では安全でより美味しいものをつくりたい。」横で奥様も頷かれます。

家でご夫婦別々のことをしていても、空間で繋がり一緒の時間を過ごす生活。そして森に行き選んできた木材とウッドデッキで自然と繋がる住まい。そこにあったのは、地に足の着いた暮らし。家族への大切な思いを受け継ぎ、自然の恵みと共に生活をされているOさんご夫婦。その暮らしを形作る様なお宅でした。

犬走りとウッドデッキ横浜市

旦那様お手製のデッキ下犬走り。前の家のタイルを活用

畑のある暮らし

デッキから見える畑の風景「孫にスイカがどうしてできるのか教えてあげたい。」と旦那様。堆肥づくりを研究中。

横浜市無垢の平屋

庭のバラ。他にも奥様が料理に使われるプルーン、梅、桃など実の生る木が沢山植えられていました。