vol.19

フリーペーパー花鳥風月

INTERVIEW 1
賢治とシュタイナーの教えによって、
豊かな人間性を育てる。

-NPO法人東京賢治の学校
代表理事 ウィリギリウス・フォーグルさん

 

INTERVIEW 2
様々な木材と向き合いながら、
『丈夫な家づくり』を見極める。

-トレカーサ工事 大工
竹内 憲五

 

■自然素材工房のお宅訪問

人と人とを繋ぐ家づくり

INTERVIEW 1 賢治とシュタイナーの教えによって、豊かな人間性を育てる。

ウィリギリウスフォーグル先生

宮沢賢治とルドルフ・シュタイナーの教えを教育理念とした、「東京賢治シュタイナー学校」で先生を務めるヴィリギリウス・フォーグルさん。
「シュタイナー教育」と先生が専門とする「オイリュトミー」との出会いや、そのメリットなどについてお話を伺いました。

-NPO法人東京賢治の学校
代表理事 ウィリギリウス・フォーグルさん

「シュタイナー教育」と「オイリュトミー」

ウィリギリウスフォーグル先生

東京都立川市にある「東京賢治シュタイナー学校」では、園児から高校生までを対象に、シュタイナー教育に基づく授業を提供しています。
運営母体「NPO法人東京賢治の学校」の代表理事であり、シュタイナー教育の特長的な授業のひとつの「オイリュトミー」や「物理」を教えているのが、ヴィリギリウス・フォーグル先生です。
最初に「シュタイナー教育」と「オイリュトミー」について、フォーグル先生に教えてもらいましょう。

「シュタイナー教育は、人間の能力や才能をフルに引き出すことを目的に、ルドルフ・シュタイナーが考えたメソッドです。
7歳ごとに分けた成長段階に応じて伸ばすべき能力が定められ、それに沿った授業が行われること、芸術教育が豊富なことなどが主な特長です。
オイリュトミーは身体表現のひとつで、ダンスのように見えますが、じつは多様な表現内容があります。それは植物の成長や動物の呼吸や生殖といったさまざまな生命活動、また、人間の言葉・感情や音楽の調律・旋律などを動きとして表しているのです」。
治療用オイリュトミーとの出会いが転機にオイリュトミーの専門家・指導者は、オイリュトミストと呼ばれます。
フォーグル先生がオイリュトミストを目指す最初のきっかけとなったのは、自身の病気だったそうです。

ウィリギリウスフォーグル先生

「オイリュトミーとの最初の出会いは4歳のときでした。母親がシュタイナー教育に関心があり、幼児オイリュトミーの教室に私たち兄弟を連れていきました。
でもこの時は長くは続けませんでした。芸術教師の父がシュタイナー教育に反対だったことと、僕自身もフルートを学ぶことに熱中し始めたからです。

その後、18歳の時、私が消化器系の病気を患っていた頃にオイリュトミーと再会します。
オイリュトミーにはいくつか分野があって、私たちが学校で教える教育用の他にも、芸術用、治療用などの専門オイリュトミーがあるのです。
そこで治療用オイリュトミーを受診してみたところ、他の治療法よりもすごく効果があって驚いたのと同時に、初めてオイリュトミーに興味が湧いてきたのです」。
病気改善のため、治療オイリュミストからフォーグル先生が処方されたのは、「ある身体の動きを毎日5分間行う」という内容だったそうです。

ウィリギリウスフォーグル先生

「与えられた動きは、身体への負荷も軽く、楽にできるものでした。にもかかわらず、とても効いたのです。
じつはその頃、身体にもっと負荷をかける別の治療法もやっていましたが、それはまったく効果がなかったんですね。
それだけに、オイリュトミーの持つ可能性に魅了されたわけです」。
こうしてオイリュトミーへの関心が芽生えたフォーグル先生でしたが、
高校卒業後は、ミュンヘン工科大学で物理学を学び始めます。
しかしそれでも、再びシュタイナー教育というキーワードが先生のもとを訪れてきたそうです。
 

ウィリギリウスフォーグル先生

オイリュトミー学校で
運命的な出会いが

「大学に入ってすぐに、今度はシュタイナー教育の先生の講演会に参加しました。
そして、すごく感銘を受けたことがありました。それは講演内容というより、話している先生の人柄に対してだったのです。

話している表情がすごく生き生きとしていて、『こういう人になりたい!』と触発されたんです。
また、それとは別の機会でもオイリュトミストと知り合ったのですが、その人もやはり同じように、生き生きと好奇心旺盛に自分の人生を歩んでいる人でした。

これはもう、私もオイリュトミストを目指すしかない、そう強く思うようになったんですね」。

オイリュトミストになるためには、ドイツにある専門機関で4年間学ぶことが必要となります。
そこで工科大に在籍しながら、ミュヘンオイリュトミー学校にも通い始めたフォーグル先生。次の課題は、シュタイナー教育に反対だったお父さんの説得でした。

「ミュンヘン工科大学は学費がかからないシステムなのですが、オイリュトミー学校は私立であり費用がかかります。
ですからオイリュトミーを本格的に学ぶためには、父を説得して費用負担をお願いするしかありませんでした。

ウィリギリウスフォーグル先生

結果として父の許諾を得ることができたので、3年間通った工科大は退学し、オイリュトミー学校に専念することに決めたのです」。

こうしてオイリュトミストへの道を歩み始めたフォーグル先生には、運命的ともいえる出会いが用意されていました。
それが現在の奥様であり、「東京賢治シュタイナー学校」の先生でもある鳥山雅代さんとの出会いでした。

「ミュヘンオイリュトミー学校には世界中から生徒が集まりますが、日本人も数名いましてそのひとりが奥さんでした。

彼女のお母さんは、もう亡くなられてしまっていますが、鳥山敏子さんと言いまして、東京賢治シュタイナー学校の創立者の方だったのです。

もちろんこの出会いがきっかけとなり日本語や日本の文化に興味を持つことになるわけですが、奥さんから日本語を学んだわけじゃなく、
僕なりに独学で覚えていったので最初はかなりめちゃくちゃな日本語だったと思います(笑)」。

オイリュトミストとなったフォーグル先生ご夫妻はその後、ドイツに数多くあるシュタイナー学校での指導を開始します。
そして2007年より、活動拠点を東京賢治シュタイナー学校へと移されたそうです。

ウィリギリウスフォーグル先生

学校名の賢治は宮沢賢治から取っていて、元々は宮沢賢治の教えを中心とした私塾が学校の始まりでした。
その後に、賢治とシュタイナーの教えには宇宙・自然・他者とつながる『共生の精神』を大切にするなどの共通点があることや、
シュタイナー教育は実績ある教育体系を持っていることから、現在のシュタイナー教育を中心にした学校へと成長してきています。

オイリュトミストになった当初は、年に1、2回来日する程度でしたが、学校側からも要請をいただきましたし、
宮沢賢治の教えも理念に入った日本ならではのシュタイナー学校をもっと大きくしたいねと夫婦でも話し合い、日本に来ることに決めたんです」。

オイリュトミーを学ぶことのメリットとは?

ウィリギリウスフォーグル先生

これまでに多くの生徒に指導したフォーグル先生に、オイリュトミーを学ぶことのメリットを聞いてみました。

「オイリュトミーからはいろんな学びがありますが、集団行動であることから、人間関係を築く際に必要な、協調性と柔軟性が得られることですね。
これを幼児期から習得していきますので、将来社会に出てからも、いろんな人間関係に対応できるようになることが、オイリュトミーを学ぶ人たちに共通したメリットだと思います」。
日本に住んで今年で8年目になるフォーグル先生。
現在は授業指導の他にも学校の理事としての活動や、シュタイナー学校をより正しく知ってもらうための普及活動など、多忙な日々を過ごしています。

ウィリギリウスフォーグル先生

最近は先生も増えてきて、私は大好きなオイリュトミーよりも物理を教えることが多くなってしまったのがちょっと不満なんです(笑)。

もちろん子どもたちと共に過ごし、彼らの成長を見守れることは、すごくやりがいを感じていますし、賢治とシュタイナーの教えによって、
ひとりでも多くの子どもたちが伸び伸びと育ち、豊かな人間性を発揮してくれることを願っています。

私自身も、子どもたちの目により生き生きとした姿に映るよう、これからも成長していきたいと思っています」。

ウィリギリウスフォーグル先生

●インフォメーション
『東京賢治シュタイナー学校』
〒190-0023
東京都立川市柴崎町6-20-37
TEL:042-523-7112
FAX:042-523-7113
http://www.tokyokenji-steiner.jp


シュタイナーと賢治の教えを
実践的に学ぶ

学校の敷地内に設けられた開放的な工作スペースと稲作体験をするミニ畑&花壇スペースやミニ畑は他にも用意されており、学校内でも簡易な農体験をしながらシュタイナーと賢治の教えを実践的に学んでいきます。

発表会などの際に着用するオイリュトミー用の色とりどりの衣装。

伸び伸びと育つ子供たちに囲まれ、先生も元気をもらいます。


土壁を作る体験なども

「面白い授業・楽しい学校」を目指して個性を様々に発揮する児童・生徒たちのアート作品。
また、ビオトープ(生物生息空間)づくりや養蜂などを通して「共生」を学びます。知識だけでなく人間性をバランスよく高める生きた授業が提供されています。
 

Interview 2様々な木材と向き合いながら、『丈夫な家づくり』を見極める。

トレカーサ工事大工竹内憲五



愛知県と神奈川県で大工経験を積んできた竹内憲五さん。
使う木材や家を建てる工法には、それぞれの地域差があるそうです。

では、竹内さんの大工としてのこだわりとは?
そして大工仕事の醍醐味とは?
竹内さんにお話を伺いました。

トレカーサ工事 大工 竹内憲五さん

大工になるきっかけとなったカナダでのワーホリ体験

トレカーサ工事大工竹内憲五

国産木材をつかった「樹の家づくり」に取り組むトレカーサ工事で、大工棟梁を務めるのは、大工歴27年の竹内憲五さん。
大工になったきっかけは、カナダでのワーキングホリデイ体験だったと言います。
「僕は普通科でしたが、高卒後は有機農業の道を目指そうと、有機農業の塾に2年間通いました。ただ当時はまだ、有機農業家に簡単になれる時代ではなかったんですね。
そんな折にワーキングホリデイという制度が始まったので、海外で見聞を広めたいという思いからカナダへ一年間、行ってきました。

トレカーサ工事大工竹内憲五

そこでやったのが丸太小屋をつくるというアルバイトでした。丸太の皮むきから始まり、組み立て作業なども行いました。
それが木造建築との最初の出会いとなったんです」。この経験によって竹内さんの関心は、農業から家屋の建築へと方向転換します。
「日本に帰ってきて、日本の建築も学びたいなと思い、大工の修業先を探し始めました。出身地である愛知県岡崎市の夜間訓練校に通う一方で、そこに集まってくる情報を頼りにどんな大工さんがどんな仕事をしているかなどを調べましたね。知り合いなどにもいろいろと聞きました」。
その結果、ある大工さんの元に弟子入りした竹内さん。すぐに大工としての修業が始まります。

トレカーサ工事大工竹内憲五

大工仕事の基本である「墨付け」と「刻み」作業

「最初の数年間は、親方から指示されたことを徹底してやります。基礎的なことを何度も同じことを繰り返して覚えていきます。その繰り返しの中でいろんな作業を覚え、個人差はありますが、5年間くらいでやっと大工仕事の基本である、『墨付け』、『刻み』などの作業を任されるようになります」。
「墨付け」とは、設計図で示される寸法に従い、加工する木材に墨を使って目印を付けていく作業のこと。
そしてその目印に従って加工をする作業が「刻み」です。「家を建てる際の準備段階として最初に行う『墨付け』は、大工仕事の中でも気を使う作業のひとつですね。ここで間違ってしまうと、すべてが台無しになってしまいますから、とにかく集中力を使って慎重にやっていきます」。
こうして墨付けが終わると、次に「刻み」作業を行い、家を建てるための基礎的な木材が準備されます。それらの木材を建設現場で組み上げるのが、「建前」と呼ばれる作業です。

大工としての達成感を最初に味わえる「建前」

トレカーサ工事大工竹内憲五

「墨付け・刻みなどの作業は、多くの場合、ひとりでコツコツと作業場で作業を行います。建前』では、それらの木材を現場に運び、職人さんたちの手を借りながら、まさに一発勝負で組み上げていくんですね。
もし間違えた場合、木材の寸法が長い分には切り落として対応できますが、もし寸法が短ければ建前は中止です。
ですから自分がやった墨付け・刻みに間違いはなかったかどうか、何度も確認する作業でもあります」。 
5年ほどの修業期間を終え、一人前の大工となった竹内さんが最初に自分で手掛けたのは、60坪ほどの田舎づくりの家だったそうです。
「外からは見えないのですが、その家は小屋組みに松の丸太を使い、屋根は入母屋造りの家でした。
その家の『建前』がやってきて、前の晩からものすごくドキドキしましたね。柱・梁・棟などの骨組みを組み上げていき、寸分の狂いもなくすべてがカチッと組みあがったときは、安心するのと同時にやはり感動します。

大工仕事の醍醐味はいろいろありますが、僕にとって『建前』はそのひとつで、大きな達成感が感じられる瞬間です」。

トレカーサ工事大工竹内憲五

こうして、木材のひとつ一つに神経と愛情を注いで家をつくる竹内さん。
大工さんならではのそんな愛情は、しっかりと家主さんにも伝わっているようです。
「自分が古くに手掛けた家に出向く機会があったりすると、今でも『上がっていきなさい、お茶を飲んでいきなさい』と歓迎してくれます。すごくありがたいことですね」。

家を建てて終わりではなく、その後も続く家主さんとの絆。それを実感できることが竹内さんにとっても、
大工仕事を続ける大きなやりがいであり、励みになっているようです。
さて、かつては有機農業を模索した竹内さんには、
新たな見聞を得て自分の可能性を広げようとする、チャレンジャーとしての一面があるようです。

海外青年協力隊に応募し、パプアニューギニアへ

トレカーサ工事大工竹内憲五

「27歳の時、親方の了承を得て海外青年協力隊に応募し、2年間をパプアニューギニアで過ごしました。
応募動機は国際貢献なんかじゃなく、電気もガスもないような場所で果たして自分は過ごせるのか、そんなことに挑戦したくなったんです(笑)。」
竹内さんの任務は、現地の職業訓練校で木工関係全般の作り方を指導するというもの。
「10代中盤から20歳くらいまでの若者たちを相手に、家具や学校の校舎などを一緒につくりました。
この訓練校では、彼らが稼げるような実践的な技術を教えてあげるんです。ちなみにいちばん売れた商品は『棺桶』で、ストックが常時10個くらいありました」。

ボルトや金具を使わない昔ながらの伝統建築を経験

トレカーサ工事大工竹内憲五

冒険心を満たした竹内さん、帰国後は、大工仕事に専念します。
これまでに一般住宅だけでなく、神社仏閣など様々な建物に関わってきた竹内さんに、一番印象に残っている建物を伺ってみました。

「木造3階建ての家を、ボルトや金具類は一切使わないで建てるという、昔ながらの工法で建てた経験ですね。いちばん太い柱は9メートルで45センチ角の通し柱で、細くても36センチ角で、とにかくすべての部材が大きい家です。
自分以外にも2人の大工さんと手分けして作業に取り掛かかり、建前に至るまでに1年半くらいかかりました。ボルトを使わない組み方は、おそらく、一生に一回の経験だと思いますね。でもその分、技術の習得にはつながる体験でしたし、達成感も大きかったですね」。
 

この家屋を最後に、竹内さんはご家庭の事情から神奈川県に拠点を移し、2015年からトレカーサ工事の大工となります。

“丈夫な家をつくる”ことが大工としてのこだわり

トレカーサ工事大工竹内憲五

「僕はひのきが好きなんです。香りもいいですし、木目もキレイなので。
長年大工をやっていた愛知県では柱など基本的にはヒノキを使います。一方で、関東ではスギがメインで使われています。関東での大工経験はまだ1年半なのですが、梁のサイズや使い方も少し違っています。大工仕事としてすることに変わりはありませんが、そうした地域差のそれぞれの良さを取り入れていきたいなと思っています」。
こう語る竹内さんに、大工としてのこだわりを聞いてみました。

「いちばんのこだわりは“丈夫な家をつくる”ということです。その基礎の上で様々な自然素材を使っていきたいですね。日々、さまざまな木材たちと向き合う中で、これまでの経験を活かしながら、また、新たな知識を得ながら、どうすればいちばん丈夫な家がつくれるのか、それを見極めていきたいと思います」。

トレカーサ工事大工竹内憲五

匠の技が光る、昔ながらの手刻み加工
材木一つひとつに、のみと金槌を使って丁寧に、材木同士をしっかりと結びつけるための手刻み加工を施す竹内さん。大工さんならではの想いの籠った手刻みによって、ぬくもりのある樹の家の基礎が出来あがっていきます。

雑多に見えても作業場は大工さんにとっての「聖域」です。

 


「農作業小屋」の屋根を支える巧妙な柱や梁も竹内さんの手によるもの。


匠の技と想いが「家」を支える
幅1メートル、長さ11メートルの大きな軒が特長の母屋。水平器を置きながら、並べられた木材は匠の技によって、ぴったりと横一線に繋ぎ合わされていきます。愛情いっぱいの手仕事が、大きな家を支えています。

自然素材工房のお宅訪問 人と人とを繋ぐ家づくり

自然素材工房お宅訪問

地域に根差す仕事だからこそ、ここで家を持ち家族一緒に暮らしたかった――

竹林に抱かれ、山々を見渡す。そんな土地に出会い、家が建ち、暮らすまでの二年間の思いをC様にお聞きしました。

 

 

 

自分が1人の例になろうと思った。

自然素材工房のお宅訪問愛川町

「農家でもちゃんと家が建てられ、家族が持てて、幸せに暮らしている。新規就農する人へ大丈夫だよと言えるような、一人の例になりたかった」とC様。地域に根差す
“農業”を職とする中で、いつかここ愛川町に家を持ちたいという思いは常にあったそうです。お住まいだった貸家を出ていかなくてはいけなくなり、またお子様の小学校への入学、そんなタイミングが全て重なり「今建てよう」という思いに至ったそうです。

 

自然素材工房お宅訪問愛川町

「よく(トレカーサの)社長は言っていたんです。お金にはならないかもしれないけど、そういう所に貢献していかないと面白くない。その言葉に私はずっと共感していました。私も農業をしていて、お金に軸を置くと面白くない。人が喜ぶことに軸を置いた時に自然とお金は回るものだと思っているので。その他にも今までの間柄もあり、家を建てるなら絶対同じ愛川町のトレカーサさんに頼もうと決めていました。」

 

 

住まい手・作り手の両方喜ぶ家をつくりたい。

自然素材工房お宅訪問愛川町

明るく、敷居が低く、開けっ広げなみんなの家。風が抜け、季節の香りを運んでくれる明るい家。そんなご主人の思いの詰まった家は、実際に住んでみると思っていた以上に「良い家」になったとご主人は喜びます。
「僕は元々飛騨高山の辺りによくある古民家のような、黒い木の色味が好きなんです。そこで暗めの色を後から着色したいとも思ったのですが、トレカーサさんに素のままの木がいいよと勧められ、何も塗らない無塗装の杉を選びました。でも今住んでみると自分に木が馴染んできて、これがすごくナチュラルです。作り手も喜んでこそ良い家。winwinの関係が大切だと改めて思いました。」

愛川町に移住して5年、田舎暮らしとは。

自然素材工房お宅訪問愛川町

「人がいて、煩わしい。でも近所の人と挨拶をするから元気になったりする。結局人は人と繋がることでしか元気にならないと思うんです。」とご主人。都会の人の望む田舎暮らしとは少し違うかもしれないけど、これが田舎で暮らすこと。愛川町は土地柄、山や川、温泉も有り、田舎ながらも接近して役場やスーパー・総合病院が揃っています。

自然素材工房お宅訪問愛川町

「子育てしたいから帰ってくる町でありたいし、やはり生産したところの近くに暮らし、野菜も採れたてを地域の人に食べてもらいたい。」と仰います。

人と人とを繋ぐ家づくり

自然素材工房お宅訪問愛川町

「ずっと側で工事を見てきたので家を建てたというよりも、大工さんがいて、職人さんがいて、うちのスタッフがいて。みんなで作った家に僕たちが住ませてもらっているという感覚です。なので棟梁に、来週から来ないからと言われた時が一番寂しかったです(笑)。
よく、3回建てて初めて一番いい家が建つと言いますが、僕はそうとは限らないと思います。

自然素材工房お宅訪問愛川町

きちんと気に入るものを選び建てた今、全く後悔している事がありません。家をつくるのが工務店ではなく、人と人を繋ぐのが工務店なのだとトレカーサさんを見ていて気付かされました。」

自然素材工房お宅訪問愛川町

青森ヒバのウッドデッキで、電気を消してキャンドルの灯の中何も考えない贅沢な時間。風の流れに乗って家の中を駆け巡るお子様の声。もうすぐ誕生する第二子を見守るC様の樹の家には、ご家族の暮らしの一瞬一瞬が大切に刻まれ始めていました。