vol.21
INTERVIEW 1
しっぽ村」で得たノウハウを生かして、全国の迷える犬・猫を幸せにしたいですね
-般社団法人 清川しっぽ村運営委員会 監事
松木彰詞さん
INTERVIEW 2
ひと張りの弓に込めた思い入れ。そこに共感してもらえることが、弓師の醍醐味です
-弓工房今井 弓師
今井一仁さん
INTERVIEW 1 「しっぽ村」で得たノウハウを生かして、全国の迷える犬・猫を幸せにしたいですね |
動物が好きという人は多いでしょう。しかし単なる愛護精神からだけではできないのが、動物保護施設の仕事です。どんな苦労、やりがい、目標があるのか? 清川しっぽ村」の松木彰詞さんにお話を聞きました。
一般社団法人 清川しっぽ村運営委員会
監事 松木彰詞さん
東日本大震災他、居場所のない犬・猫たちでにぎわうしっぽ村 |
神奈川県唯一の「村」である愛甲郡清川村。県内で最小人口のこの村の山あいの一角に、たくさんの犬猫たちが集う、とてもにぎやかな場所があります。それが一般社団法人 清川しっぽ村運営委員会が運営する犬・猫の保護施設「清川しっぽ村」です。監事の松木彰詞さんがこう語ります。
「ここに集まっているのは、東日本大震災で行き場を失った犬や猫たちを中心に、熊本地震や県内で保護された猫もいます。活動開始当初は、福島県相馬市で避難所を運営していましたが、里親探しにより便利な場所を求め、2013年3月から清川村で運営を再開させました」。
東日本大震災から6年が経った今も、知られざる被害者ならぬ被害犬・猫たちがここにやって来て、新たな飼い主との出会いを待ちます。
「最近のペットブームのおかげもあり、健康体でなるべく若ければ里親は見つかりやすいです。一方でここには、老犬や猫のエイズや白血病などを発症している子たちもいて、看取り場にもなっているんです」と松木さん。
運営資金が乏しいなかでもしっかりと健康管理を実施 |
これまでに里親のもとへ送り出した卒業生は250匹以上。そして現在、61匹(2017年8月現在)の保護犬猫が暮らすしっぽ村ですが、その運営はすべて募金活動で集まった多くの人たちからの善意のみでまかなわれています。
「こうした活動に対して国や自治体、団体等から支援が得られる制度は残念ながらありません。申請すれば不妊手術費用の一部を援助してもらえる程度で、あとはすべて募金活動で得た皆様からの寄付金で運営させていただいています。やはりお金がかかるのは予防接種や空調管理などの健康維持費と病気の治療費などですね」と松木さん。
資金的に厳しいなかでも、里親さんに安心して引き取ってもらえるよう、施設の衛生管理や保護犬猫の健康管理をしっかりと行うのがしっぽ村のポリシー。そのため引き取りに際して、里親さん側の費用負担等は一切ありません。
「多くの保護犬猫が里親さんのもとで安心して暮らせること、それが私たちの願いです。最近、しっぽ村の初期メンバーだったミニチュアダックスフンドの『こじろうくん』が、保護から4年でやっと里親と出会い、幸せを掴んだのです。スタッフみんなで喜び合いました」。
いくつもの病気を抱えた老犬「こじろうくん」の奇跡 |
福島から来たこじろうくんは、人間なら60代くらいの老犬で、てんかん他の病気症状も多く抱えていたそうです。「たぶんここで看取るんだろうな、とスタッフのだれもが思っていました。しかし大阪の里親さんが立候補してくれて、しっぽ村まで来てこじろうくんと対面してくれたんです。そして無事、卒業することができた、まさにスペシャルな出来事でした」。
満面の笑みでこう語る松木さん。里親さん候補は、しっぽ村まで足を運ぶことが必須の条件であり、飼うことへの本気度を問われるハードルでもあります。大阪から、いくつもの病気を抱えた自分に会いに来てくれた人がいたことは、こじろうくんにとっても、まさに夢のようなミラクルだったことでしょう。
「それでも最初、私たちは手放しでは喜べませんでした。なぜならこじろうを飼うのは本当に大変で、飼育を放棄されてしまう可能性もあったからです。そこで来村された里親さんには、こじろうが抱える病気を詳細に説明しました。そのうえで納得して、こじろうを引き取ってくださったんです。
保護犬猫たちとの触れ合いだけでなく、こうした多くの心優しい里親さんたちとの出会いそれが資金的に苦しくてもこの保護施設活動を続ける、松木さんのモチベーションを支えます。
がれき撤去作業で訪れた被災地で巡り合った「運命の糸」 |
「私自身、猫を3匹飼っています。動物は好きですが、まさか自分が動物の保護活動や施設運営に関わるとは、夢にも思っていませんでしたね」と語る松木さんは福岡県出身で現在41歳。先だって洪水被害に見舞われた朝倉市は地元のすぐ近くだったそうです。
長らく建築関係の会社で働き、東日本大震災直後の4月には、がれき撤去業務を行う作業員として被災地に赴任しました。「がれきからは事の重大さを痛感しましたし、途方に暮れる犬猫たちも多数目にしました。それでも映画のセットが作られたロケ地を見ているかのようで、これが日本の東北であること、そして現実であることが認められずにその場にたたずんでいましたね」。
そして被災地で松木さんは、偶そして被災地で松木さんは、偶代の友人と出会います。その出会いはその後の松木さんの人生を大きく変える、運命の糸でした。「10年ぶりくらいの再会で、びっくりしましたね。その友人が人道支援や飼い犬保護のNPO活動を行っていました。そして、その活動を手伝わないかと誘ってくれたのです。人間動物を問わず、他者の役に立つことをしたいと思ったので、転職することを決めたんです」。この再会をきっかけにNPOの有給職員となった松木さんは、被災地での動物保護活動を開始します。
「便利屋」でのバイト収入が生活を支えているという現状 |
「最初は理解のあった奥さんも、さすがに最近では、もう少しなんとかならないのか、と思っているみたいですね」と、苦笑いする松木さん。保護活動で出会った女性と2013年に結婚した松木さんは、一家の大黒柱でもあります。
日本全国の迷える保護犬猫を幸せにするために今がある |
家庭の生活レベルを抑えてまで保護活動に注力する松木さん。その姿からは、単なる動物愛だけでなく、より大きな使命や目標を目ざす気迫のようなものが感じられます。それはいったいどういうものなのでしょうか?
「動物保護施設というのは、決してひとりではできません。多くの人たちのサポートが必要です。その中で私の使命は、こうした施設やコミュニティが、どうすれば多くの人たちの集まりの場として、適正な形で運営・持続できるのか、その道筋を立てることだと思っています。私が今目標にしていることは、各市町村にひとつの保護施設ができるようなノウハウをしっぽ村の運営から蓄積することです。そして、多くの動物愛護精神のある人たちが、少しでも多く、気軽に参加できるコミュニティづくりを実現させることですね。そうすることで被災地に限らず、日本全国の迷った子供たちが幸せになってくれるのだろうと思います」。
INTERVIEW 2 ひと張りの弓に込めた思い入れ。そこに共感してもらえることが、弓師の醍醐味です。 |
弓道用の和弓をつくる職人、弓師。
弓づくりの醍醐味はどこにあるのか?
全国でも数少ない弓師のひとりである今井一仁さんに、師との出会いと弓師への道のりを語っていただきました。
弓工房今井
弓師 今井一仁さん
深く考えずに始めた弓道に深くのめり込んだ高校時代
柔道、剣道、茶道に華道etc。「道」のつく世界に共通するのは、そのすべてが「己と向き合い、己を正すための自己鍛錬の技法」であるということ。そして弓道もまた、しかり。全日本弓道連盟のホームページには、「弓道の心」がこう記されています。
「弓の世界に敵はいません。いるとしたら、揺らぎ、動揺する自分の心が、敵なのです。
自分と向かい合い、心を養い、常に平常心でいられる心を作ることこそが弓道の本来の目的なのです」。
弓師の今井一仁さん(39歳 弓銘 相州重仁)が弓道と出会ったのは、入学した高校にあった弓道部。10代にして自己鍛錬の必要性に目覚めたのでしょうか?
「いえいえ、そこまで深くは考えずに(笑)。ただ、礼儀作法とかを学んでみたいという気持ちはありました。自己鍛錬に関しては、後々に多くの先生に師事することで学んで、弓道の奥深さを知るようになっていきます」。
こうして入部した弓道部では、思わぬことが待っていました。
「部員は40名ほどの大所帯でしたが、指導してくださる先生がいなかったのです。そこで弓道の基本にして真髄である『射法八節』を覚える際は、先輩がくれるアドバイスの他は、ひたすら教本から自分なりに体得していくしかない。でも私にとっては逆に、自分で答えを探す作業がすごく楽しくて、どんどん部活と弓道にのめり込み、部長まで務めるようになっていました」。
「射法八節」とは、弓を構える際の足の位置を決める「足踏(ぶ)み」から始まり、弓を構える「弓構え(ゆがまえ)」、弓を射る「離れ」、そして矢を放った後の姿勢である「残身・残心」までの八つの動作のこと。部活では、シンプルながらも奥深い、この弓道の所作をただひたすら何万回も繰り返すそうです。
そして弓道には大きく近的・遠的の二つの競技があります。近的では、的までの距離は28メートルで的の大きさは直径36センチ。遠的では、60メートル先にある直径100センチの的を狙います。
「弓道はアーチェリーやダーツなどと違い、簡単に的中央へ到達できる世界ではなく、的内でさえ射にくい競技です。この道何十年というベテランでさえ、身についたクセや迷いが邪魔して決して百発百中などありえません。それは年をとっても失敗が付きまとう人生の縮図の投影のようでもあり、弓道が奥深い所以(ゆえん)だと思います」。
最初の師匠、池田正一郎先生から学んだ多くのこと |
高校時代、師を求めていた今井さんに出会いがありました。
「神奈川県海老名市に良い先生がいると友人に誘われ、会いに行ったのが当時80代でまだまだお元気だった池田正一郎先生でした。先生は100歳まで、車いすに乗りながらも現役で弓を引いていらっしゃって、先日、105歳で他界されました。
池田先生からは、弓道の奥義ともいえることを学びました。
弓道は立禅、つまり立って行う禅とも言われています。先生から教わったのは、弓道を通して自分の人生を見つめ、自分の考え方を研ぎ澄ましていくことの大切さであり、勝負相手ではなく己を見つめることの大切さです。
そして自分で考えることの大切さですね。人に押し付けられたものをやってうまくいっても、それは自分の血や肉とはなっていない。教わったことを鵜呑みするのではなく、自分なりに解釈し自分のものにしろという教えです。
そのため、大学進学後に入部した体育会弓道部とは方向性が合わず、2年で退部しました。その弓道部では、競技や大会で相手に勝つことばかりを重視した指導をしていたからです」。
人生や物事でいちばん大切な本質とは何か? その答えに近づくにはどうすればいいのか? 高校生の時から関心を持ち始めたこれらの問いに対する答えが、弓道を通して少し見えてきたという今井さん。せっかく見え始めた答えを見失う前に、池田先生の道場に通う大学時代を過ごします。
父に背中を押されて弓づくりの師匠のもとで丁稚奉公を始める |
就職活動を始めるという頃、池田先生からは『自分で付きたい上司が選べる職場に進めば自分のためになるだろう』とアドバイスをされました。しかし、一般企業では上司は選べません。先生の言葉の真意を探っていると、ある選択肢が浮かんできました。
弓を作る職人、弓師を目ざすという道なら、師を自分で選んで弟子入りすることはできる、と」。
こうして弓師への道に開眼した今井さん。弟子入りを志願したのは、池田先生の道場に弓を納品していた御弓師、柴田勘十郎さんでした。
「学生時代の夏休みを利用して、京都で21代続く弓師の当主である柴田勘十郎さんの工房に通い、竹狩りほか、弓づくりの基礎を手伝い学ぶことから始めました。
柴田師匠の弓づくりに対する思いや人柄、そしてモノづくりの面白さ、そのすべてに共感し、自分の将来像を重ねることができたんです。そこで一般企業への就活は一切行わず、大学卒業後は3年後の独立をめどに、柴田師匠のもとで弓づくり修行を始めました」。
くいという竹を圧着させるための部品づくりを、1500本こなすことから始まった弓づくり修行。手を血に染めながら、工房の敷地内にある蔵の二階で寝泊まりをします。しかし約束の3年が近づいたとき、今井さんは焦りを覚えます。
「修行とはいえ、手取り足取り親切丁寧に教えてくれるわけではありません。師匠の作業を見て、匠の技を見て盗むんです。ですからこれはまずいと。奥が深すぎて3年ではとてもじゃないが独立なんてできません。そこで2年間の延長を頼み込んで、師匠もしぶしぶ了承してくれたんです(苦笑)」。
こうして今井さんの弓づくり修行生活は合計5年に及びました。その間は無収入のまさに丁稚奉公。ご両親などから将来を不安視されたりはしなかったのでしょうか?
「いえ、むしろ追い風というか、時代が就職氷河期でしたから。ですから『手に職をつけたほうがいいんじゃないか』と言って弓師を目ざすことへ背中を後押ししてくれたのは、むしろ父でした。高校時代は教えてくれなかったんですが、じつは父は弓道経験者でした。あまり極めなかったのか、私にアドバイスをくれたことはなかったんですけど(笑)。でもおかげで、弓師への理解があったのはありがたかったですね」。
師匠からの言葉「横柄であれ」を胸に刻んで弓師として独立 |
そして紆余曲折の5年間を経た2005年1月、今井さんは晴れて「弓工房 今井」を立ち上げ、弓師として独立しました。
「工房開きの際、師匠から頂いた言葉は『横柄であれ』でした。気安くお客さんの言う通りの弓を作るような職人にはなるな、ということ。これは、お客様のためを思ってのことです。
お客さんから言われるままに応えていれば、顧客満足度は高いかもしれません。でもそれが本当にお客さんのためか? そうでなく、弓が本当にお客さんに合っているのかどうかを、プロとして考えてお客様のために判断してあげなさい、と師匠は言うわけです。
この師匠からの言葉とその心は、今も私の弓づくりの指針になっています」。
弓づくりは、毛単位(約0.0303ミリメートル)で行う緻密な作業があり、材料の確保も決して楽ではないそうです。
「竹弓で使う主材料は竹とハゼノキで、どちらも確保は大変です。竹は間引かれた竹藪で育った生命力の強い竹を探します。1000本の竹に当たって、採れるのは20から30本くらいでしょうか。
そして毎年100~200本採って、寝かせておきます。そうすると粘りが出てきて、身体にも優しく引き心地のいい弓ができるんです」。
緻密で精巧な匠の技を重ねながら、ひと張りの弓を仕上げるのに最低でも半年はかかるという弓づくり。そのやりがいはどこにあるのでしょうか?
「それぞれの弓には私なりに、ここの部分の良さを感じてほしいという思い入れを込めて、作らせていただいています。私の弓を使ってくださる方が、その部分にも大いに共感してくれて、喜んでいただけるとやはり大きなやりがいを感じます。それが弓師としての醍醐味です。
あるお客さんが、稽古中の道場から私に電話をくれたことがありました。そしてこう伝えてくれたんです。
『今井さんがおっしゃっていた、弓への思い入れのことがやっとわかりました。今、それを実感できる一射が出たんです』と。
まさに弓師冥利に尽きるお言葉だな、と感動した一言でした」。
今井一仁さん◎プロフィール
1978年3月26日生まれ。神奈川県愛甲郡出身。高校1年生のときに弓道部に入部。大学卒業後、御弓師 柴田勘十郎に師事し、内弟子となる。2005年1月「弓工房 今井」を開業する。