vol.8

INTERVIEW 1

 

森林破壊という負の遺産を子孫に残さないために

「森林と林業の復権」を考える

NPO法人緑のダム北相模 代表理事/石村黄仁さん

 

INTERVIEW 2

 

蕎麦へのこだわり、農への思い

石庄庵 代表取締役 石井 貞男 さん

 

自然素材住宅のお宅訪問

 

里山の暮らしを実践!雑木林の良さを活かした家づくり

 

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INTERVIEW 1 
森林破壊という負の遺産を子孫に残さないために「森林と林業の復権」を考える

森林は、すべての生命の根源であると言われています。

その森林を、子孫のためにも守っていかなければというひとりのばというひとりの男性の思いから始まったのがNPO法人緑のダム北相模。

すべて一般市民のボランティアで行なわれている多種多様な保全1950年3月20日生まれ。

活動は、私たちと同じ目線から、森林の大切さを改めて伝えてくれています。

NPO法人緑のダム北相模 代表理事/石村黄仁さん

  森が育むもの。そう言われて、どんなものが思い浮かぶでしょうか。たとえば肥沃な大地、おいしい水、動物や昆虫の住まい、川から続く海の豊かさ、呼吸するために必要な酸素。森は、私たちが生きていく上で必要な「恵み」をたくさん与えてくれています。
 国土面積の約70%が森林と言われている日本は、かつては林業が盛んで、建築用の木材はもちろんのこと、炭焼きをしたり、家庭で使う薪などの燃料用として木材がしっかり活用されていました。そしてそれが森を整備することに自然と繋がっていたのです。
 しかし今、日本の森林は荒廃が進んでいます。輸入材に押されて国産材の需要が減り林業が衰退したこと、国策によって植えられた杉やひのきが、結局使われることなく放置され、森に光が入らなくなってしまったことなど、多くの原因が考えられています。平成10年、地球の森林は年間に400万ヘクタールずつ減っていると言われていました。今では、これが年間800万ヘクタールまで加速しています。このままではあと500年で、森林が消滅してしまう計算になるのだそうです。
 こういった森林破壊は、環境問題が当たり前に取り沙汰されるようになった今では多くの人の知るところとなっています。しかし今から15年前に、早くも森林整備のボランティア活動を始めていた人がいます。NPO法人緑のダム北相模の石村黄仁さんです。

森林が壊れることは地球の呼吸器が壊れること


 空気清浄機の開発の仕事をしていた石村さんは、仕事柄、環境問題にも一定の関心をもって情報を集めていました。それがある時、趣味の山登りで陣馬山を訪れ、荒れた森を目の当たりにして愕然としたそうです。「暗くて、寂しげで、物音がしない。見回してみたら杉はひょろひょろだし根が浮き出ている。谷川には水が流れていませんでした。森林がなくなったら酸素が作られませんから、人間は呼吸ができなくなります。きれいな水を飲むこともできなくなるかもしれない。森林が壊れるっていうことは地球の呼吸器が壊れるっていうことです。これはなんとかしなくてはいけないとすごく大げさなことを考えたんです」
 石村さんはその後、数人の仲間たちとともに、相模湖周辺で森林整備を始めました。しかしよそ者だった石村さんたちは、なかなか地元の人に受け入れてもらえませんでした。現在、活動の拠点となっている嵐山の森は、地主さんが森に対していろいろな思いをもっている方だったこともあって、10年前から継続して整備をやらせてもらえるようになりました。大きな宣伝をしたことはないと言いますが、口コミによって今では毎回約80人が定例の森林整備に参加しています。
  「森林破壊はものすごく大きな問題だから、どの国でもなかなか動かないし、動けません。だから我々は自分にできることから始めることにしました。緑のダムの活動は小さい活動ですが、小さいところから徐々に考え方を整えていけば、活動は
広がっていくだろうと思ったんです」

緑のダム北相模の活動の体験レポート


 森林の多様性な生態系と同様に、色々な活動が行われる中、日頃結びつきのない人たち同士が共に作業されていました。参加者の人たちがとても生き生きとされていることが印象的でした。石村さんいわく「人はどう生きるべきか、どうあるべきか悩むでしょう。そんな時、養蜂や山の整備などの活動を通して自然の摂理を学ぶ。それは森が自分の生命の源だということ。その生命の源である森の中で活動することで自然と共生する生き方を見出すんだよ。」参加されている方々が真剣で生き生きされているのはその人の生き様そのものだからなんだなと感じました。

若者の参加率が高い森林整備


 まだ雪の残る1月21日、実際に緑のダムの森林整備に参加しました。相模湖湖畔の嵐山には、朝からたくさんの人が集まっていました。参加者は72名で、半数以上がリピーターです。上は70代から下は中学生まで、年代はみごとにバラバラで、いちばん多いのはなんと大学生でした。
 この若者の参加率の高さが、緑のダムの特徴です。特に麻布大学を中心とした森林サークル「フォレスト・ノバ」は地主さんからお借りしている森林のうち約1ヘクタールを「フォレスト・ノバの森」として自分たちで管理しているほど。その活動が認められ、第9回全国大学生環境活動コンテストでは準グランプリを受賞しました。
 緑のダムの活動に参加したことがきっかけで、林業や環境保全の団体に就職する学生も現れています。就職した先でも真面目でしっかりしていると評判が良く、「緑のダムの活動に4年間参加していたおかげ」という学生の話を聞いて、就職先の方が視察にくることもあるのだそう。また、学生たちがいきいきと活動し学んでいることから、麻布大学と「森林と林業の復権」というテーマで協定書を結び、共に活動しようという方向で話し合っています。
  石村さんは「参加している若い人たちから教えられることは多い」と言います。
  「若い人は純粋にものを言う。それに真剣です。フォレスト・ノバの学生さんたちは、整備が終わったあとみんなで反省会をするんだけど、いつも暗くなるまでやっていますよ。今、環境問題はメディアでも取り上げられることが多くなっています。すると若い人たちの関心も環境問題にいくわけですよね。そういう時に口コミで緑のダムのことを知って興味をもって参加してくれる。きてみれば楽しいし、学ぶところがある。一次産業って自然が相手だから、自然の摂理と調和しないとうまくいきません。ここにきている人たちは無意識に自然との共生を学んで調和しているから、長く活動に参加してくれるし、しっかり未来を見据えることができるようになるのだと思います」

  参加している学生さんにも話を聴きました。フォレスト・ノバの現代表、淺野さんは麻布大学の2年生。環境について関心があり、フォレスト・ノバに参加しました。「森での活動ももちろん楽しいですが、活動を続けているいちばんの理由はここで会う人たちに魅力を感じているからだと思います」。自然から教わることがあるように、人からもまた教わることがある…、緑のダムの活動がこれだけ長く続いているのは、石村さんをはじめ、多くの魅力ある人たちが集まっているからこそ、なのかもしれません。

FSCの国際認証を取得


 緑のダムは"森林破壊という負の遺産を子孫に残してはならない"という基本理念を掲げています。

 そして、それを具体的に実現するために、日本の民間団体としては唯一、フォレスト・スチュワードシップ・カウンシル(FSC)の国際認証を取得しています。

 FSCは「森林環境保全、森林資源の経済性創出、持続的社会の発展」を目指す国際機関です。
FSCの国際認証は、適切な環境保全を行ない、かつ経済的にも持続可能な管理が行なわれている森林に与えられます。

2007年時点でFSCの認証森林数は世界で873ヶ所、日本では24ヶ所となっています。

  「FSCの教えどおり、
環境性=森を作る事業、
経済性=森を活かす事業、
社会性=森林と都市住民を繋ぐ
事業の3つを柱として活動しています」

森林整備だけでは終わらず、生態系調査や体験学校の企画、木材の製品化、間伐材活用プロジェクトなど、持続可能な森林となるためのさまざまなプロジェクトを実際に行動に移しています。

今を生きる私たちの役割と責任

 行政や森林組合、大学との連携や、桂川・相模川流域の計7ヶ所で、同じような活動をしている人たちが緑のダムとネットワークをつくるなど、地道な活動は徐々に広がって、横の繋がりを生み出し始めています。石村さんは、上流で生産された木材が中流で加工され、下流で利用されるというような、流域を繋いだ林業の発展・流通に戦略的に取り組んでいきたいと考えています。
  「このままでは何百年か先に私たちの子孫たちが生きていけなくなってしまいます。そうしちゃいけない、そうしないのが私たちの役割であり、責任だと思います」

  緑のダムのような活動があちこちで始まれば、私たちは未来の子どもたちに、おいしい空気ときれいな水を残していけるでしょう。たとえ問題が大きくても、自分たちにできることは必ずあり、それは続けることで大きな力になるのです。

INTERVIEW 2 蕎麦へのこだわり、農への思い

 

洋食、中華、エスニックと様々な料理が食べら

れるようになった今でも、日本食を食べると、

なぜだかホッと心が落ち着ありませんか。

 日本という風土から生まれ、私たちの生活に

長く馴染んできた日本食は、きっと、私たち

日本人食の郷のようなものなのかもしれませ

ん。丹沢の麓の美しい里山の風景の中に、凛

として佇む蕎麦の名店「石庄庵」は、地元の食

材にこだわり、日本の伝統食、蕎麦のしみじみ

としたおいしさを 私たちに届けてくれています。

      

日本料理技能士会連合会師範

日本スローフード教会秦野支部理事

石庄庵 代表取締役 石井 貞男 さん


 日本古来の伝統食である蕎麦。その繊細で滋味深い味わいは、何度食べても飽きることがなく、今なお、多くの日本人に愛されています。そんな蕎麦の名店が秦野市にあるのをご存知でしょうか。
 秦野方面からヤビツ峠に向かう道を途中で右に折れ、両側に田畑が広がる細い道をずっと行った先に、かの名店「丹沢そば石庄庵」はあります。周辺は民家もほとんどなく、山と川、田畑が広がるのみ。大げさではなく、まさかこんなところに蕎麦屋があるとは誰も思わない「隠れ里」です。

石庄庵の蕎麦へのこだわり

 店主の石井貞男さんが地元・秦野で石庄庵を始めたのは今から37年前のことです。それから2度の移転を経て、偶然見つけたこの地に惚れ込み、5年前に移ってきました。
  「蕎麦は水と原料が90%、職人の技が10%と言っても過言ではありません」と石井さん。 地下55mからくみ上げる地下水は、約1万年前の地層から沸き出ているもの。出汁を取るのに適した軟水で、透明度が高く塩素殺菌が不要な天然水です。毎週トラックで水を汲みにくる横浜のパン屋さんは「ここの水でパンを捏ねるとパンにカビが生えない」と言っているそう。

 「水は蕎麦作りにおける命です。蕎麦屋では注文の7割が冷たいお蕎麦ですが、冷たい蕎麦はゆすぎをかけなくちゃいけません。さらに、お客様にお出しする前には化粧水をかけます。そこで水道水を使っちゃうと塩素で蕎麦の甘味が消えてしまいます。
 ところがゆすぎや化粧水までいいお水を使える蕎麦屋はなかなかないんです。
でもここは放出量が多すぎて困っているぐらいなんで、ゆすぎや化粧水にもいくらでも天然水を使うことができます。
 いい水があるというのは、ここに移ってきた理由のひとつですね」

 石井さんの蕎麦へのこだわりは徹底しています。水だけではなく、食材もまた然り。丹沢そばという商標どおり、蕎麦は秦野を中心に、厚木から山北にかけての契約農家で作られる地元産の無農薬の蕎麦を使用。粒の状態で低温庫に保管し、いつでも新蕎麦の状態を保っています。すべて自家製粉のため、様々な種類のそば粉を作ることも可能です。そばは熱と空気、光に弱いため、極力負荷をかけないよう、最新の製粉機を使って1回転挽きで製粉します。野菜は近隣の農家で採れた無農薬野菜、醤油は2年もの熟成丸大豆醤油、みりんや上ザラメなどの調味料も、石井さんが今考えうる限りの最高の食材を揃えているそうです。
「とにかくお客さんを喜ばせるのが僕の仕事。こんな田舎までわざわざお金をかけてきてくれるんだからうまくて当たり前です」と石井さん。

 実際に石庄庵の蕎麦を食べてみれば、そのこだわりがいかに誠実なものかがわかります。ひと口噛むごとにこれまでに食べたことのないような蕎麦の甘味が口の中に広がり、香りがふわっと鼻を通ります。つゆは塩辛さと雑味のない上品な仕上がりで、なにより驚くべきは最後にそば湯を足した時の出汁(だし)の引き立ち具合でした。つゆだけを飲んだ時とはまったく違い、出汁の香りと風味がグッと前面に押し出てくるのです。ひと口ごとになんらかの感動がある、石庄庵の蕎麦は最初から最後まで私たちを楽しませ「おいしい」という感覚がどういうものか、改めて気づかせてくれます。

出汁に魅了され、蕎麦屋の道へ

 石井さんは高校を卒業後、3年ほど自衛隊に所属していました。軍事訓練を続けているうちに、これは一生の仕事ではないと感じた石井さんは次なる仕事を探し始め、天皇陛下の料理当番も務めていた四条流という料理の流派があることを知り、興味をもって連絡をとり、料理人の道へ と進みました。そこで和食を3年やるうちに「食の仕事は面白いな」と感じるようになったそうです。独立する際、蕎麦屋になろうと思ったのは、その中でも出汁の魅力に取り憑かれたからでした。

「出汁って本当に面白くてね、おいしい出汁はお茶みたいにそのまま飲めちゃうの。何杯でも欲しくなる」それに加えて、かつて秦野がたばこの日本三大産地として栄え、その裏作として蕎麦も盛んに栽培されていたことも地元で蕎麦屋を開くきっかけになりました。

 「やっぱり蕎麦が好きだったんですよね。蕎麦ってすごく繊細で、せいろ1枚でいろいろな楽しみ方があります。本当に蕎麦が好きな人はつゆなんかつけないで3分の1ぐらい食べるよね。それでおそばの甘味を確かめる。それからつゆの濃度を確かめて、薬味をどれぐらい入れるか決定して残りを食う。最後につゆと薬味を残しておいて、そば湯で割って飲む。それだけで3度も楽しめる」

  石井さんが蕎麦屋を開業した頃には、秦野ではたばこは作らなくなっており、蕎麦を作っている農家もほとんどありませんでした。そこで今から30年前ほど前に、石井さんは近所の農家に声をかけ、蕎麦作りをお願いしました。収穫量に関わらず、1反あたりの最低補償額も設定しました。農家さんは助かり、石井さんも地元産の蕎麦を手に入れられるということで、お互いにとってプラスになっていると言います。

 「ここ10年は秦野の在来種のタネをうちから支給して育ててもらっています。同じタネを使っても標高や水、土壌が違えば味も変わってくるんですね。秦野の蕎麦は、風味や甘味に優れているんです」

秦野の財産、自然を守る

 それにしても以前は国道246号線沿いに店を構え、秦野の飲食店としてはトップ5に入る売上を誇っていたという石庄庵をなぜ山の中に移転させたのでしょうか。
  「簡単に言うと、僕は蕎麦屋なんだけど、農業文化人なんですよ。246号沿いで26年ばかり商売してましたけれども、人生っていうのは本当に儚くてスパンが短いからね。それを考えると50歳までにはどうしても山に上がりたいっていうのは僕の夢だったの。こんなに山奥に移って大丈夫なのかってみんなに言われましたよ(笑)。もちろん僕も、お客さんがついてなかったらこんな冒険はできなかったと思います。でも246時代は年間3万人のお客さんがいましたから、僕のファンは1割だとしても3000人はいるだろうと踏んだんです。3000人きてくれれば山の中でもまぁなんとかやっていけるだろうと思いました(笑)。おかげさまで順調ですね」
 現在の地に移転してからは、蕎麦屋を営むかたわら、石庄蕎麦の会をスタートさせ、会員になったお客さんとともに蕎麦やお米の栽培、里山保全の活動も行なっています。近所の方から「このへんには昔、蛍がいっぱいいた」と聞けば、川をきれいにして蛍のエサであるカワニナが生息しやすい環境を整えたり、近隣で荒れている竹林の整備を頼まれ、切った竹を竹炭にして販売したり。これらの売上はすべて縁のある地元の障害者施設や芸術家の活動に寄付されています。
  「秦野は生まれ育った地元ですからね。地域貢献っていうほど大げさじゃないんだけれども、秦野もだんだん開発が進んでいて、それが残念ながら乱開発だよね。僕は残すべきところは残さないといけないって思っている。山っていうのはものすごいエネルギーがあります。秦野の中にこういう田舎があるっていうのはすごい財産じゃないですか。だってこんな自然をまた作ろうと思ったって絶対に作れないですよ」
 そしてこうした石井さんの活動が身を結び、2013年4月1日から、石庄庵周辺は、神奈川県の里地里山のモデルに指定されることになりました。石井さんは芸術に関するイベントなども積極的に行なっており、蕎麦と食と農業と芸術のある里山を目指していきたいそうです。 「その次の夢は土に触れない都会の子どもたちに、野菜や穀物がどうやって作られてるかっていうことを教えていくことです。それが、こうやって田舎にいて商売をさせてもらっている僕なんかの責務じゃないのかなと思いますね」  

食の仕事にこだわりをもち、食に繋がる農業や環境に対しても様々な活動を展開している石井さん。全国から人が集まるおいしさの理由のひとつは、そんな石井さんの人柄なのかもしれません。

自然素材住宅のお宅訪問 里山の暮らしを実践!雑木林の良さを活かした家づくり

 家のすぐ裏をたぬきや鹿、猪が毎日のように通るというS邸は、清川村の住宅街の一角、雑木林の山の麓に建っています。同じ会社に勤めるご夫婦の職場はお隣の厚木市です。ずっと雑木林のある土地を探していましたが、職場に近い場所で、理想の土地を見つけることができました。
 Sさんご夫婦は、じつは独身時代にそれぞれ家を建てていました。ところが家を建ててまもなく結婚することになり、2軒の家は売りに出した上で、新たに家族で住む家を建てることにしました。

 そして自然素材の家を建てたいと思っている時に、やまゆり生協のチラシの中にトレカーサ工事のチラシを見つけました。
  完成した自然素材の家は「夏は涼しく、冬は暖かい」のが気に入っています。その中でもおふたりが特にこだわったのは、建物の構造そのものでした。
  「特に女性は装備にこだわりがちですが、装備はあとでいくらでも変えられますよね。建物は1度建てちゃうとあとからどうすることもできません。だから駆体をしっかり作ることに、いちばんこだわりました」と奥様。その言葉どおり、薪ストーブ以外は必要最低限の、至ってシンプルな設備があるだけです。
 木の香りが漂うS邸は1階に寝室と水回り、2階にワンフロアを丸ごと使ったリビングダイニングとキッチン、そして子どもの遊び場や収納となっているロフトスペースがあります。ロフトスペースはいずれは子供部屋として活用していきたいそうです。
  特徴的なのは水回りが集まった洗面所です。4.5畳ほどの広いスペースをとり、壁一面に作り付けの収納を用意しました。ここには、衣類や日用品がすべて納められています。子どもが自分で洋服を手に取れるように、手前の棚を低く設置しているのがポイントです。
  「この家のコンセプトは『子どもができるだけひとりでできる家』なんです。うちは共働きなので、子どもたちには、自分でできることはなるべくやってもらえるようにしようと考えました」
 そしてS邸の特徴は、なにより雑木林と隣接した環境にあるということです。夏はお昼頃まで陽が当たらず、窓を締め切っておけば、外気温が36度のときでも家の中は28度前後だそう。逆に冬は雑木林の葉が落ち、太陽が昇る角度が低くなるので、陽が当たりやすくなります。風通しが良く、湿気を木が吸ってくれるため、じめじめした感じは一切ありません。

 自然の空調と薪ストーブのおかげで、オール電化でも、電気代は月7000~10000円前後で済んでいます。
 雑木林は、購入した当初はもっと鬱蒼としていました。整備には、休日を返上してかなりの労力をかけたそうです。山に手を入れる大切さを、おふたりは実感しています。
 「夏は木陰を作ってくれて、冬は陽が差し込む。木を間引けば獣よけになって、風の通りもコントロールできる。切った木は薪になるし、落ち葉は堆肥になって家庭菜園でおいしい野菜を作ってくれます。
こういうことは住まないとわからないですね。実際に住むと、なぜ昔の人が里山を大事にして、まめに整備していたのかがわかります」

 共働きで忙しくしていても、山に手を入れる大切さが理解できれば、自然と共に暮らすことも実行できるようになる。
Sさんご家族は、家を作ることで、そんな自然と共生する暮らしも一緒に創り上げたのかもしれません。