vol.10

INTERVIEW 1

 自分の自由時間  日常を彩るギャラリー喫茶
あなたはホッとする場所ありますか?
「なよたけ」オーナー兼マスター 小高嘉照さん

 

INTERVIEW 2

 食が繋ぐ生命力
自然栽培、津久井 島村農園 島村正史さん

 

自然素材住宅のお宅訪問

 古材再生の家~生活の中で受け継がれるもの

 

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INTERVIEW 1 自分の自由時間 日常を彩るギャラリー喫茶

自分の自由時間

~日常を彩るギャラリー喫茶

 

あなたはホッとする場所ありますか?

日常のしがらみから離れ、

感情のおもむくまま・・・

自分に向き合い自由に喜怒哀を感じる時間

そういう感情を響かせ、

人と人とがつながる自由な空間。

そんなギャラリー喫茶「なよたけ」のマスター

小高嘉照さんにお話を伺いました。

小高嘉照さんプロフィール

2006年~神奈川県厚木市にあるギャラリー喫茶「なよたけ」オーナー兼マスター。

 

***

神奈川県綾瀬市在住

「与遊窯(よゆうがま)」を主催する陶芸家。

20年以上前から「なよたけ」で毎年個展を開催。

横浜で陶芸教室も開講している。

現在では「なよたけ」の他、銀座でも個展を開く。

 本厚木駅前のピル群の中に、ぎゃらりー喫茶「なよたけ」はあります。
ピルの階段をのぼり、「なよたけ」のドアを聞けると木の温もりとピアノが1台ある異空聞が広がります。 カウンターではご白身も陶芸家であるマスターが迎えてくれます。 マスターは焼き物、コーヒー力ップ&ソーサーなどの収集家でもあり、店内は約40年かけて集めた陶器がずらりと並びます。喫茶内では絵画や芸術品の展示、遊戯、セミナ一、ライブなどが定期的に行われています。催事のジャンルは問いません
「なよたけ」という白由帳にマスターとみんなで思いのまま絵を描くようにして創られます。
そんな「なよたけ」は日常の中に現れた異空間の様。展示物の作家の方もお客さんも自分の家のようにリラックスできる場所。

  「なよたけ」のマスター兼オーナーの小高嘉照さんにやさしいジャズが流れる店内、白然体で飾り気なくお話をしていただきました。
「この場所が無くなるのは惜しいと思ったんだよね。」それが「なよたけ」のオーナーを小高さんが引き受けた理由でした。今から27年前、神奈川県央地区の芸術の発信基地にしたいというコンセプ卜で立ち上げられた「ギャラリー喫茶なよたけ」。芸術の展示と喫茶という形で営業をしていました。前のオーナーの時、小高さんも陶芸家として作品を展示したり、お客さんとして利用していました。そんな中、今から約7年前、20年以上も続いたギャラリー喫茶「なよたけ」が閉店することを前オーナーから聞きました。それは20年かけて創り出したその時間、空間が途絶えてしまうこと、この場所が無くなるのは惜しいという衝動から、お店の最終日この店のオーナーを引き継ぐことを決めました。

 「オーナーを引き継いで最初はもっとがんばってやってやろう!と意気込んでいたけど、だんだん力が抜けてきて、普通にやってればいいのかなって、今は大げさに考えてないの、"なよたけ"に来てくれる作家さんやお客さんのめぐり合い、そんな人と人の繋がりが文化の発信になってくれればいいなって思ってる。そして私が"なよたけ"を楽しんでるのを見て面白い生き方してるねって思ってくれたら最高かな」
 小髙さんのお店づくりは、お店をこちらがこんなかたちにしていこうなんて押し付けず、お客さんからの要望をまず受け入れて、こちらのことも受け入れてもらうもの。そんなマスターの元、今はお客さんがイベント企画をどんどん進めてくれるそうです。  「知り合いの作品を見に来た作家さんがここでやらせてほしいと言って作品展をやってくれる」 そんな人の繋がりが広がって今では半年先まで展示予定がいっぱいだそう。

「なよたけ」を彩る若いアーティスト

 小髙さんは頑張ってる若いアーティストを応援したいとおっしゃいます。その思いは小髙さんが陶芸をはじめた頃の経験によるものです。小髙さんは陶芸を創めるため、薪窯や資材などを購入。大きな出費が続きました。
 その出費を補い陶芸を続けていくためには自分の作品を見て買ってもらう必要があります。しかし若いアーティストが展示できる場所は少なく、自分でフリーマーケットに出品したり、必死で展示先を探したり…。
 そんな思いをされたマスターは「"なよたけ"に若い作家さんの作品を展示して、何かのきっかけになってくれたらいい」とおっしゃいます。

 「なよたけ」に来たお客さんにとっては、見たことのない若い作家さんの作品、定期的に変わる新しい展示作品との出会いで、新たな発見もあるようです。
そんな日常の人の目に触れる機会を与えられることで若いアーティストも見出され、成長することができます。

何かやってないと

 会社員時代に旅行が趣味だった小髙さん。
 倉敷での旅路途中、大原美術館に展示してあった白磁の壺。その容姿に感動したのが陶器に興味を持つきっかけでした。
  それから旅先でコーヒーカップを収集するようになったそうです。ある時から競馬にはまり、休みは競馬に明け暮れる日々。そんな日々に終止符を打つべく陶芸をはじめたそうです。
陶芸をはじめたら他の方よりうまくできず、一度陶芸から遠ざかったこともあったそうです。しかし「このままでは完全にやめてしまう」と思い自分の窯を購入。
窯があるとつくりたくなり、つくり続けていると腕が上達していったそうです。

 陶芸を続けていく上で借金など大変な時期もあったそうですが、陶芸の奥深さとおもしろさを知る小髙さんは笑顔で「楽しまないとシンドイじゃん」とおっしゃいます。
 会社に勤めながら、競馬、陶芸、旅行。退職後も「なよたけ」のマスター。
 「何かやってないと気がすまないんだよね。だけどそれが続いてるから退職後の今もこうやって楽しんでいられる」。
「陶芸」や「なよたけ」と出会い、それらを介して人とふれあう。そこから自分が得られるもの。
 それは「お金じゃ買えないんだよね」お金の価値だけでは計れない「出会い」の大切さを小髙さんは知っています。
  「色んな人と交わることで得られるものは大きいんだよね。」「なよたけ」での出会いから陶芸家としても刺激を受け、また新たな作品をつくりだす活力を得ているそうです。
  「最後にこれは俺のだっていうのをつくりたいって思っている。まだまだつくれると思っている」その思いは果てしなく「たとえ思いを込めたと言ったって、人には伝わらなければわからないじゃないですか、だけど思いを込めたって言える作品をつくってみたい。
 一生作れないかもしれないけど」

今そしてこれから

  団塊の世代である小髙さん。その人生観、「今の自分って過去を引きずって生きてるわけだから、生き方が最後出てくるじゃないですか。最後に人がちょっとでも集まってくれるといい生き方だったのかな?と思う。先がそんなに何十年あるわけじゃないから、自分の生き方みたいなものを一生懸命つくっていかないといけない 。それは陶芸と一緒」そんな小髙さんが思い描くこれからの夢、「なよたけが私と同じ団塊の世代の人たちが輝ける場になればいいなと思ってる。」団塊の世代の中には懸命に働いていたばかりに、退職後何をしていいかわからない人も多いそうです。「団塊の世代の人たちが活躍できる場になれば、"なよたけ"が生きるかなって思う」
  「なよたけ」には老若男女、枠にとらわれず、お客さん次第でどうなるかわからない…そんな自由さを楽しむ「あそび」があります。みんなで自由に楽しむ。それは「なよたけ」のイベントを自然体で楽しむマスターの姿に表れているようでした。

 ワイワイと賑やかでアットホームな空間。熱気があって躍動する空間。環境セミナーではより生活を見つめなおし自分で考え選択する場所。若手のアーティストにとっては羽ばたく「きっかけ」の場所。 自由さが新たなものをつくり出します。どういう場所をつくるかではなく、自由に羽ばたける場所を提供する。それが「なよたけ」独特の異空間を創り出しているようです。
  芸術や音楽は人の心にストレートに響くもの。それに触れることのできる場所が日常にあるとふと自分の感情に気づくことができる。特別な日だけ芸術を楽しむより、日常を楽しむことに「特別」がある。楽しんで日々を過ごせれば人生は豊かに…。 そんな人の日々に寄り添い、繋がる喫茶店「なよたけ」。 常連さんが言うには「ここって根っこが生えるかんじなんだよね」「なよたけ」はホッとして根っこが生えるような家庭医的な雰囲気。根が生えて栄養を吸い上げ生き生きと呼吸ができるような日常のオアシスでした。

なよたけ命名の由来

  「なよたけ」は「竹取物語」の主人公の別名です。「竹取物語」の作者は不詳です。戦前、東京大学の大学院生であった加藤道夫氏は大学にも通わず自宅に引きこもり、「竹取物語」の作者がどのような人であったかを推論し、戯曲「なよたけ」を書きました。
  「竹取物語」はポエムがあり、メルヘンがあります。「なよたけ」にもそれに劣らぬ美しい精神が満ちています。それは作者が戦争を前にして、自分が生きていた証しを残すために書いたからです。そこには清らかな精神だけがもつ響きと感動があります。

環境や生活についてのフォーラム

 消費者レベルでの勉強会の場所として「なよたけ」を提供されています。私たちを取り巻く生活環境(衣食住…)の中で利用する商品。その商品をつくる「人の顔」が見えない状況が増えてきています。商品の本質を「知る」セミナーが開催されていました。参加されているのは家庭の主婦中心。内容は私たちが普段利用している電気。その副産物「放射能ゴミ」の未処理でそれが環境に与える影響。またTPPが私たちの生活に与える波紋。遺伝子組み換え食品の加工品への利用など、普段利用しているけれど知らないこと、私たちが利用することで環境の変化は起こり、将来その変化は私たちに影響すること。そんな情報を知ることができました。より生活を見つめなおし自分で考え選択することができるそんな場所になっていました。フォーラムが終わった後もその熱は冷めやまず、自分たちの取り巻く環境についての語り合う場に。
 小髙さんは「私も孫がいて、これからの環境については興味があります "なよたけ"を消費者の勉強会の場所として提供できれば少しでも社会貢献できるかなって思うんだよね。」とおっしゃいます。

飛び込みライブ参加

 ある日、育児でいっぱいいっぱいの気持ちを抱えて、子供同伴で「なよたけ」に入店しました。
  ドアを開けるとライブの真最中、「生まれてきてくれてありがとう~♪…」という歌詞のうたを歌われていました。私の子供に向かって「その子にむけて歌いましょう~」子供に向かって歌っていただきました。目の前のことでいっぱいいっぱいだった私もスッと心が軽くなり、育児の楽しさを思い出させてもらいました。生の歌声やメロディーだから心にストレートに響いてきたんだと思います。


INTERVIEW 2 食が繋ぐ生命力

「生命力」

その言葉には生まれたばかりの赤ちゃんのようなキラキラと前向きな響きがあります。年を重ねても元気で生命力あふれる人はいます。

その生命力はどこから来るのでしょう?その答えの1つを津久井島村農園の島村正史さんにご自分の闘病体験も交えながらお話ししていただきました。

プロフィール: 自然栽培、津久井 島村農園

島村正史さん、津久井(現、相模原市緑区)にて野菜2反、大豆4反、桃1反。無農薬、無肥料で栽培をされています。

生命力のある野菜づくり

  みなさんは草むらに生える雑草の生命力を感じたことはありませんか?刈っても刈ってもまた生えてくる。だれが蒔いたわけでもないのに気が付けば芽吹き大きく育っている。その野生の生命力はどこから来るのでしょう?その要因の一つには代々その土地で生き続けることにあります。同じ環境で種を繋ぐことで、植物の遺伝子はよりその土地に合った特性を持つようになります。さらに雑草は多種多様な種と共に生きています。競争や共存を繰り返し、生き残ったものだけが種を繋いでいきます。

 また野生の世界では外敵や病気などのダメージも受けます。なので自ら栄養分を探す能力がなく免疫力のない弱い種は滅びていきます。たかが雑草と思うかもしれませんが、私たちが普段目にしている不屈の生命力は、自然の中で時間をかけて雑草自体がつくり出した生きる術です。
  そんな野生の生命力を取り入れた栽培方法、自然栽培で野菜と桃を育てていらっしゃいます"津久井島村農園"の島村さんにお話を伺いました。

 よく「昔の野菜は今の野菜より野菜本来の匂いと味が強かった」というのを聞きませんか?それが本来の野菜と肥料によって育てられた野菜との違い。本来の野菜はその味と匂いの中にその野菜しか持たない栄養素がぎゅっと詰まっています。島村さんの野菜は野菜本来の味と匂いがします。その違いは農法の違いから生まれています。島村さんの農法は現代主流の農法とは考え方が全く異なるからです。
 現代主流の農法では野菜を育てるために農薬や肥料が必須と言われています。しかし島村さんは「野菜は農薬を使ったり肥料もやらなくても育ち、逆にその方が生命力があり野菜本来のおいしい味になる」とおっしゃいます。野菜も元は植物。その特性に合った時期や環境下であれば、昔からそこにある山の木や草むらの雑草と同じように人工的に栄養を与えなくても、野菜自身の生命力で生き生きと成長するのです。

 それでは野菜をその特性に合った時期、環境下で育てるということはどういうことでしょう?
 その特性に合った時期とは、その作物の旬の時期のこと。その野菜が本来生育する気候時期に育てます。その特性に合った環境とは、自分の畑で野菜の種を採り(=自家採種)、採取した畑でまた育てること(=連作)。自家採種を繰り返すことで土地環境に合った種に育っていきます。現代主流の農法では連作はタブーとされています。それは連作をすると病害虫が発生しやすいから。しかし自然栽培で自家採種を繰り返し、その土地に適応し生きる力のある野菜なら多少の病気や虫くらいのダメージには負けません。大きく根を伸ばし栄養を吸収、ダメージを補修して、より逞しくなります。

 また、主流の農法では雑草は野菜の成長を妨げるとして、無い方が望ましいと言われていますが、島村さんの農法は野菜が育つまである程度は刈りますが、作物の日当たりと風通しの妨げにならなければ草はあってもよいという考えです。自家採種の種にとって大切なのは育つ環境が同じであること。その環境とは微生物から、虫も、動物も、風も、水も…様々なものが互いに関わり合い、その調和バランスによって創り出されています。肥料や農薬を添加する現代の農法を行うとそのバランスを崩し環境が変化こしてしまうことになります。

 それは土地環境に適応して育つ種にとっては生育する上でダメージです。
 現代主流の農法で作った野菜は肥料がたくさんあるので、野菜は自分で根を張って栄養分を吸収する必要もありません。農薬を使うので免疫力も低下します。そんな野菜は「生命力のないものです。量はたくさん採れますが、畑に虫が大量に発生し、野菜は腐りやすくなります。」と島村さんはおっしゃいます。自ら栄養分を探す能力がなく免疫力のないものは淘汰されます。それが自然の摂理。

野菜も人間も同じ

  今から7年前、島村さんのお父様が植えた桃の樹があって、それがもったいなくて、実らせて食べてみたいと思ったのが島村さんの農業を始めたきっかけでした。その栽培方法を模索しているとき自然栽培というものを知り興味を持ち、今から5年前に野菜の栽培も始められました。島村さんは農業を始める前は、コンビニ弁当やカップ麺、外食といった現代によくある偏った食生活をしていたけれど、農業を始めてからは自分が作った野菜などを食べる生活に変えました。その生活を始めて2~3年後に持病が再発したそうです。島村さんは生命力のある植物がそうであるように「この病気は今までの偏った食生活で溜まった悪いものを体が出そうとしている現象」と捉えて、野菜の栽培と同じ概念で、薬を使わず自分の畑の生命力のある野菜を食べ続けて治療されたそうです。

  体の自浄作用と生命力のある野菜のエネルギーを信じた結果、今では元気に畑作業をできるようになりました。 野菜も人間も同じ。
  現代人は病気になれば医薬品、栄養過多の偏った食事に頼ります。農薬は医薬品であり、肥料は栄養過多の偏った食事です。その結果、薬に依存した免疫力のない体になってきています。薬は表面的に治ったように見えますが、症状が表に出るのを抑えているだけ。体質の改善をしなければ根本的な治癒にはなりません。さらには、薬によってはその強い殺菌力や副作用で体のバランスを崩すこともあります。 薬に頼らず、生命力のある野菜の栄養を頂いてそのエネルギーを源に体をつくる。そうすれば生命力のある強い体ができる。島村さんはご自身でそれを体験されています。

土と人はつながっている

  (トレカーサ工事社長の高橋と島村さんの対談を抜粋) 島村さんは津久井で生まれ育ちました。「津久井」という土地環境を大切にしたいという思いで「津久井在来大豆」を栽培したり、農園の名称に「津久井」の地名をつけられています。
 島村さんと社長との対談の一節。「地元愛」についての話題になりました。
(※高橋は愛川町で畑を借りて野菜を栽培。時間を作っては自分の畑で野良仕事をしています。
(社長)「土をいじってるとその辺にどさっと座り込みたくなる。土に触れているとその風景と一体になる感覚に…。そしてこの辺のために何かできないかなぁなんていう思いが出てくるんだよね。そんな地元愛みたいな土着愛とかって土を触ってるとより増してくる気がする」

  土と人との関係は“人間の食べ物をつくってくれる土壌”としてだけではありません。土に触れ、土が生み出す風景を眺め、同じ風に吹かれ、その空気を吸う。人と自然が繋がり優しく包み込まれます。その優しい繋がりへの愛着心から生まれる土着愛もあります。 (島村さん)「相模原市との合併で生まれ育った町の名前が無くなったダメージは大きい。そして津久井の開発が進んだことで農地が減り、環境が壊されていっている」 島村さんはそれらに失われていくものを感じ、地元愛から津久井のよき伝統風土を残していきたいという思いに駆られたそうです。

 その思いは「津久井在来大豆」の栽培という形になりました。なぜ「津久井在来大豆」の栽培なのか?…昔から農家では大豆を栽培し、味噌や醤油を自家で作っていました。「津久井在来大豆」は昔から津久井の地で受け継がれてきたもの。在来種とはその土地に育まれたその土地ならではのもの。これこそ津久井の特産品にするべきだと思われたそうです。津久井在来大豆を無農薬無肥料で栽培し、大事に守り受け継いでいくことは、それを生み出す環境も維持することです。「少しでも自分も津久井の役に立てれば」と島村さんはおっしゃいます。
人は自然環境の中で生かされています。土を触ることでそのことを体感できます。

自分のことを大切にしてほしい

 「世の中の良くないんじゃないかな?という面が気になっちゃって」と島村さんはおっしゃいます。現代人の生活は生産者の顔が見えないものが多く、実際にはどのようにして作られているのかわからないものが大半です。農薬に依存した現代の農業。それは農業だけに留まりません。薬やワクチンをつかって飼育されている家畜の肉、その堆肥。医療の現場では薬に依存した治療。どの分野でも薬や消毒はついて回り、繋がりながら複合的に人の体に蓄積されています。知らぬ間に薬漬けの生活になっているのです。
 自然栽培には現代の農法に比べ、その土地環境に合う生命力のある種に育てるまで時間がかかり、ダメになる野菜もあるため収量も多くないという難点があります。実際に自然栽培を始められた当初は失敗もあり収量が少なく辛い時期もあったそうです。しかしその野菜には人を生かすことのできる力があります。それを食べることで現代の薬漬けで偏った生活から抜け出し、健康な食生活ができます。現代の食生活が招いたご自分の辛い闘病経験から「多くの人が命とか自分のことを大切にしてほしいから自然栽培の野菜をつくっている」とおっしゃいます。さらに「直にあって顔見て話したりして伝わるものってあると思う」と島村さん。その思いから毎月相模原の街角にて自ら直売されています。
  「世の中の良くない所を変えていくには対面販売からコツコツやって、消費者自身が自分のために問題意識を持ってもらって、ジワジワとその意識を広げていくこと」一人一人が変わり、それが広がれば大きな力になります。消費者の意識が変われば、作られる野菜も変わってきます。野菜が変われば環境が変わります。つまり、あなたが生命力のある野菜を食べることで、守られる環境があるのです。
  あなたが日々食べている食べ物は生命力を高めてくれるものでしょうか?薬に頼りすぎて弱い体にはなっていませんか? 自分のために一度考え改善してみること。それは自分にも環境にもやさしい生き方かもしれません。


自然素材住宅のお宅訪問 古材再生の家~生活の中で受け継がれるもの

「家を建てる」のと同じくらい「家を壊す」ということは暮らしてきた家族にとって大きな意味を持ちます。それまでの"家族の歴史"の象徴が無くなってしまうからです。

「"家族の歴史"の中にある大切なものを残していきたい」その願いを形にしたのが新しい家への"古材の利用"でした。


Tさん一家

ご主人、奥様、お祖母様、中学生の長男、長女の5人家族。 ご主人のご高齢になったお母様と一緒に住むため、お家を建て替え。

 Tさん一家は母屋の建て替えをお願いする工務店を決める上で大事なポイントがありました。それは「母屋の木材を新しく建てる家に使うこと」それとお子さんがアトピーということから「化学物質を使わない自然素材の家づくり」であることでした。母屋に使われている家の木材は炭職人をされている親戚の方に調達して頂いたもの。その親戚の方はご主人が幼少期にお世話になった恩がある方で
もありました。そしてご主人のお父様もその木材で
造った家を大事に思われていました。

 Tさんご夫婦もその思いを大切にされたかったので、新しく建て替えるなら母屋の木材をどこかで活かそうと考えておられました。インターネットでトレカーサ工事のことを知り、「対話しながら家族の思いを形にする自由設計」や「化学物質を使わない自然素材の家」という特色に魅かれて、お願いすることにしたそうです。 奥様の家づくりのこだわりは「食」に関する所。奥様はもともと栄養士。お子さんのアトピーを「食」で改善をしようと考えられていました。そのため家で食べる野菜は自宅横にある畑で採れた無農薬野菜。(ご主人が作っておられます)その野菜を収穫し、すぐに料理できるように、キッチン横に勝手口を設けました。さらにその勝手口の隣には洗面所を設置。そうすることで畑の汚れをすぐに落とすことができ、家の中が汚れずに済みます。 2階には1階と吹き抜けで繋がるスペースがあります。1階リビングが見下ろせるような構造で、階が違っても空間の一体感があります。そこがお子さんの勉強スペースです(写真④)。前の家ではリビングで勉強をされていたそうですが、お客様が来られる度片付けることに…。それを解消するのがこの間取りでした。今は吹き抜けを介して親子の会話を楽しまれているそうです。Tさんのお宅はTさん一家が暮らしやすい、オリジナル仕様に造られていました。

 暖房設備は薪ストーブ。幼少期「藁でご飯を炊く係りだった」とおっしゃるご主人は火の使い方に覚えがあります。さらにシイタケの原木用の山をお持ちのため、薪の確保も可能ということで薪ストーブの導入を決められました。そして家の大部分が吹き抜けや窓で繋がっているためエアコンでは力不足ということも理由の一つです。薪は2年ほど長期乾燥させた樫の木などの広葉樹。広葉樹は針葉樹に比べ火の持ちがよく、暖かさが続きます。一度火を起こすと冬の朝も18、19度くらいまでしか下がらないそうです。薪ストーブの鋳物表面から発する遠赤外線は太陽の暖かさと同じもの。奥様いわく「エアコンとは違い、体の芯から温まるので足先まであったかくなる。そのため外に出てもしばらくは温かさが続き、寒さを感じない」とおっしゃいます。自然な熱源は体にやさしく、今の家に住んでからは風邪をひかなくなったそうです。更に「冬場は部屋に干していると洗濯物がすぐ乾く。だけど空気は乾燥しない」その理由はTさん宅の壁が呼吸
する自然素材だから。調湿作用があり、乾燥しすぎを防ぎます。(左※1参照)薪ストーブの欠点、薪の調達や煙突の掃除の苦労、火起こしや温度の調節が難しいところも体験されたそうですが、「大変だけどいいとこの方が多いかな」とご主人。何物にも変え難い良さを感じていらっしゃるようです。
 「子供たちに受け継がれるものは、教えるというより生活の中で身についていくものだから」と奥さんはおっしゃいます。そこに日々あることで古材が語りかけるもの。それは家族にとって受け継いでいきたい大切な思いでした。古材だけではなく家全体から伝わってきたのは家族への愛情。それは言葉より伝わる素敵な表現方法でした。